EXPO’70



 1970年、開発されたばかりの千里ニュータウンに隣接した地域で『日本万国博覧会』が開催されました。

 万博会場も千里ニュータウンと同様に竹林を切り開いて造成されました。記録映画には、重機が土煙を上げて土地をならしていく映像が残っています。

 造成を終えると、見事なフォルムのパビリオンが次々と姿を見せました。
 アメリカとソ連が東西で競い合っていた時代のことです。参加パビリオンの中で一番の広さを持つアメリカ館と高さを誇るソ連館の対比が注目されました。スイス館のまばゆい輝き、松下館の日本情緒溢れる落ち着き、未来を予想させる日立館とユーモラスな外観のガスパビリオン…。そんなパビリオンの間を『動く歩道』が結びます。

 私が、初めて『ガイジン』を見たのも万博でした。どこの国の人かもわからないガイジンさんにサインしてもらうことが、子供たちの間では流行りました ^^;

 ディズニーランドよりもUSJよりも活気があったように思うのは、高度成長期の日本の勢いが後押しをしていたからでしょうか。

 夏の夜の夢。
 日本中が大阪の昨日まで何もなかった千里に突然現れた未来都市に注目していました。大阪の人が「急に親戚が増えて困っている」と、いうマンガを見たことを覚えています。ホテルでの宿泊費を浮かせるために、親戚の家を頼る、ということだったのでしょう。

 夏休みが終わって間もなく、万博は閉幕しました。
 翌日には、もう重機が入ってパビリオンの撤去が始まったことをニュースが伝えていました。夏休みが終わることよりも『バンパク』というお祭りが終わってしまったことのほうが悲しかったように思います。(続)
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by h_with_the_wind | 2009-11-09 23:59 | 社会科 | Comments(0)