毛利氏への旅 一日目午後

 毛利元就に代表される歴史と文化の町安芸高田市へは、車でなければ行くことができません。今回の旅行では断念しました。

 広島城を後にして「中国大返し」を実行しました。
 新幹線で新山口へ出て、山陽本線上りに乗り換えて防府を目指しました。

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 毛利家の家紋の一文字には何種類かあるそうで、それを見れば本家・分家の区別がつくのだと次女が教えてくれました。


 毛利博物館です。

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 ここは、明治25年に井上馨が旧長州藩主毛利氏の本拠にふさわしいとして選定しました。日清・日露戦争のためにすぐに着工することが叶わず、完成したのは明治5年だそうです。
 井上馨こと井上聞多は、幕末に高杉晋作や久坂玄瑞の下で討幕のために活動していた人です。幕末を生き抜き明治政府の中核として大臣を歴任しました。
 旧藩主のために風光明媚な場所に立派なお屋敷を建てる、故郷に錦を飾るということでしょうか。
 勝てば官軍、負ければ賊軍――。
 豪奢な館が必要だったのかどうか――。
 私は幕末の歴史には惹かれるけれど、新政府ができると途端に興味をなくしてしまいます。権力を得た途端にそれを振りかざすようで好きになれません。


 毛利博物館は、歴史資料館としては充実していました。広島城と同様、次女はひとつひとつの展示物をゆっくりと気が済むまで鑑賞しています。

 毛利氏の年表を見ていると、いわゆる「薩長同盟」が「長薩同盟」と書かれていたことが印象に残りました。
 「山口の人は、学校で長薩同盟って習うのかな?」と、次女が言います。
 おそらくその通り、少なくとも戦前の学校では「長薩同盟」と習っていたのではないかと思います。

≪続く≫

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by h_with_the_wind | 2010-03-30 23:59 | 毛利氏への旅 | Comments(0)