今日はどんな風が吹くのだろう。 日々の思いを書き留める雑文帳。

by 風懐

太閤の湯殿館にて

 初詣をした湯泉神社は、有馬温泉にあります。
 有馬温泉の泉源を発見したのは、大巳貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神だとされています。
 あらっ、大巳貴命って、大国主命です!ウサギ年の今年、因幡の白兎繋がりで大国主命を祀った神社に初詣できるなんて、何だかいい感触です!

 日本書紀や枕草子にも登場する有馬温泉は、衰退と繁栄の歴史を繰り返しました。
 有馬温泉は『太閤の湯』とも呼ばれます。
 湯泉神社に初詣をした後、有馬温泉の歴史と文化の資料館『太閤の湯殿館』に入りました。

 『太閤の湯殿館』には、豊臣秀吉に関する年表がありました。
 初めて秀吉が湯治に来たのは1583年とされています。温泉の湯がよほど肌に心地よかったのか、最初の湯治から3ヵ月後に賤ケ岳の戦で柴田勝家を破ったことで縁起を担いだのか、以来13年間に9回訪れていることが確認されています。
 今なら大阪市内から車で一時間程ですが、当時の足の便と山道を考慮すると、湯治といっても大層な催事になったのではないかと想像します。

 1985年正月、愛妻の北政所を伴って長逗留した年の夏には長曾我部元親を降伏させて四国を平定、続いて佐々成政を降伏させて北陸を平定しています。同じ年の秋には、石田三成、益田長盛、大谷吉継、千利休らを伴って茶会を開いています。
 九州に出陣し、小田原征伐で北条氏を降伏させた後、1991年8月の湯治を終えた直後、明を倒すべく朝鮮半島に出兵の断を下しています。
 単に戦の傷や疲れを癒すために湯治に出掛けたのでしょうか、山間の地で次の戦略を練るための密会が行われていたのでしょうか。私は両方の役割をしていたのだろうと想像します。

 1596年、慶長伏見の大地震がおこります。調べてみると阪神・淡路大震災よりも大きな規模だったようです。
 この地震で伏見城の天守閣が大破し、大きな被害と犠牲者・被災者を出しました。秀吉が東大寺の大仏よりも大きな大仏を目指して建立したという方広寺大仏殿の鐘楼が崩壊したのもこの時の地震でした。秀吉亡き後、方広寺の鐘楼再建をした豊臣家に対して、鐘楼の文字『国家安康』は家康の諱を分断し、『君臣豊楽』は豊臣家の繁栄を願うものであるとして、家康に大阪の陣につながる口実を与えてしまいました。
 脱線しました。
 慶長伏見の大地震の被害は有馬温泉にも出ました。地震の2年前に65軒の町屋を撤去して秀吉が造らせた「御殿」が大破し、民家が倒壊しました。

 この地震の影響で温泉の温度が急上昇し熱湯になったのだそうです。これを知った秀吉は、根本的な改修工事を命じ、「新御殿」の普請を命じましたが、完成を待たずして1598年に死去しました。

 それから約400年…。
 1995年1月17日未明、私は今までに経験したことのない揺れの中にいました。同じ頃、有馬の極楽寺の庫裏が損壊しました。
 損壊した極楽寺の庫裏の下からは、安土桃山時代の遺跡が発掘され、秀吉が造らせた『湯山御殿』の一部と見られる浴室や庭園の跡が確認されました。
 地震で崩壊した建物が、400年の月日を経た大地震で白日の下に晒されたことに何とも言えない不思議を感じました。
 そして、何の意図もなく書き始めた記事が、阪神・淡路大震災のおきた前日に書き終えたことにこれも不思議な符合を感じています。
w(゚o゚)w

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by h_with_the_wind | 2011-01-16 22:21 | 課外活動 | Comments(0)