レーニン

 台風12号が大きな爪痕を残して去っていきました。
 被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。


 今朝、空気ががらりと変わりました。秋です。
 なのに、まだロシアの旅、続けます……。

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 ソ連崩壊の象徴は、大きなクレーンで引きずり降ろされるレーニンの像でした。

 レーニン。
 ロシア革命の指導者。革命が成立したことを宣言し、臨時政府『人民委員会議』の初代人民会議委員長となった人。そしてソビエト時代のカリスマ。

 ソビエト時代にこの国を旅行した時、幼稚園を見学する機会がありました。教室にレーニンの肖像画が掛っていたことが印象に残っています。

 私たちが今回の旅で最初に行ったサンクト・ペテルブルグは、聖ピョートルの街、すなわちここに街を作ったピョートル大帝の名前が由来ですが、革命後、ソ連崩壊までレニングラード(レーニンの街)と呼ばれていました。

 人類のユートピアとされた社会主義は絵に描いた餅に過ぎなかった、大いなる実験は失敗だった、巨大なレーニンが片手をあげたままクレーンでつり下げられる姿を見て誰もがそう思ったことでしょう。


 ロシアにあったレーニンの像は、すべて撤去されたのかと思っていました。
 ところが、意外にも古都でレーニンの像を見かけました。
 バスの私が座っていた反対側の窓から見えたので写真を撮ることもできませんでしたし、現地ガイドさんもシカトされましたが、しっかりとレーニンの像を確認しました。

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 そして、スーズダリにはレーニンの名前をとった通りが残っていました。
 何だかこの「徹底していない状態」が、ロシアだなあ、と可笑しくなりました。

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 古都からモスクワに帰るバスの車中から見たビルには、旧ソ連の立派な紋章が3つも入っていました。一番左の紋章には、レーニンの肖像があります。
 何のビルだったのでしょう。そして、今も使われているのでしょうか。


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 こちらはモスクワのその名もレーニン大通りです。
 首都にもカリスマの名前は健在でした。
 有事には滑走路として使えると噂の大通りは、溢れんばかりの車を捌いていました。


 レーニンの死後、遺族の反対を押し切って遺体は保存処理されました。現在も赤の広場の『レーニン廟』に安置されています。ソビエト時代は入口正面の両脇に衛兵が立ち、一時間ごとに交代する姿が見られました。氷点下でもじっと立ち続ける姿は、主義主張だとか善悪を越えたところで凛として映りました。
 すでにレーニン廟の前に衛兵の姿はありません。
 ソビエト連邦解体後は、レーニンの遺体を埋葬するかどうかという議論が続いているそうです。
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遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2011-09-06 22:26 | ロシアの旅 | Comments(0)