あじあ号 

 九時大連(だいれん)發の「あじあ」に、ぼくは乗つた。見送りに來た母が、大勢の人にまじつて見える。
「おかあさん、行つてまゐります。」
ぼくが手をあげると、母もあげた。窓を開くことができないので、ぼくのこのことばも通じないらしい。母も何かいつてゐるやうだが、こちらにはわからない。「あじあ」は流れるやうに動きだした。ぼくは、この春休みにハルピンのをぢのところへ行くのである。一度乘つてみたいと思つてゐたこの汽車に乘れて、ほんとうにうれしい。
 (「あじあ」に乘りて 著作者:文部省 底本『初等科国語六』(1943年) 提供Wikisourceより)

 (全文へのリンクができないのが残念ですが、下記を検索してみてください)
      Wikisource 「あじあ」に乗りて


 私のブログタイトルのとおり、ぽかりと心に思い浮かんだことから連想を重ねてたどりついたのが、「あじあ号」でした。

 母から小学校の教科書に載っていたという「あじあ号」の話を聞いたのはいつだったでしょう。その時の情景を思い出すことはできないけれど、乗ってみたかったという母の言葉は私の心の片隅に残っていたようです。連想の連鎖の先で、普段すっかり忘れていたことが突然、浮かびあがってきました。

 九州の山間部で生まれ育った母にとって教科書で垣間見た未知の世界は、余程強く心に残っていたのでしょう。
 母が成長して都会に住み、看護婦として働き、娘を産んでもなお時折思い出していた文章を読んでみたい。私の連想は、素朴な衝動へと移っていきました。

 私も母から聞かされたままに受け入れていたけれど、そもそも「あじあ号」って何でしょう。
 手始めに「あじあ号」で検索してみました。

 日本の資本・技術で経営されていた南満州鉄道が、1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで大連駅からハルビン駅まで運行していた特急列車。大連港と日本の間には定期連絡船があった。(Wikipediaより)

 「あじあ号」の概念を掴んだところで、更に母の小学生時代の教科書を探してみました。
 いくつかのキーワードを重ねて、全文に行きあたりました。
 春休みに、日本の技術を集約した汽車に乗って、ひとりで叔父さんの所へ行った少年の体験談です。
 私が映像のない時代に生きる小学生なら、かつての母と同じようにまだ見ぬ世界に想像の翼を広げてドキドキしたことでしょう。


 雲が切れて、日光がさして來た。雲はしきりに流れて、早春の畠を、野を、そのかげがはつて行く。「あじあ」は、雲のかげを追ひ越したり追ひ越されたりして、滿洲の大平原をまつしぐらに突進す。

 大きな赤い夕日が沈むところだ。夕日とぼくとの間には、さへぎるもの一つない。
     (「あじあ」に乘りて 著作者:文部省 底本『初等科国語六』(1943年) 提供Wikisourceより)



 産まれた土地から外に出ることさえ簡単ではなかった幼少時の母には、大平原も大きな赤い夕日も想像の域を出ることはなかったことでしょう。
 後年、シベリア鉄道に乗るという行為は、母の幼い日からの夢が達成できた瞬間だったのだと理解できました。
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2012-06-12 07:08 | 思い出話 | Comments(4)
Commented by 風屋 at 2012-06-13 17:13 x
当時大陸へのロマンを抱いていた方は多かったのでしょう。
その裏で関東軍が何をしていたのか
国民全体に知れ渡ったのは戦後になってからでしょうから。
ワタシ自身も一時満州の歴史や人々にとても興味を持っていて
石原莞爾や李香蘭、愛新覚羅一族の本などを手当たり次第読み、
当時に生きていたら大陸浪人になりたかったと
思っていたこともありました(笑)
お母様が夢見ていたのはとてもよくわかります。
当時、彼の地は夢の大地でした。
Commented by h_with_the_wind at 2012-06-14 06:42
☆風屋さん
おっしゃる通りです。
小学生の気持ちになって読むように心がけましたが、歴史の暗部が散らついてしまいます。
荒れた土地を農地として開拓していく人、鉄道の路線を敷いた人。終戦でこの土地を去っていく姿。

そういった歴史を除外して読むと、希望に満ちていますね。
ロシアの少女との触れ合いや自然の描写に憧れること、私にもよくわかります。
Commented by imuimu at 2012-06-14 17:44 x
私の母も熊本の山の中で同じ時代を過ごしたはず。
この文章を読んだのかな〜。
聞いてみたくなりました。(^^)
Commented by h_with_the_wind at 2012-06-14 22:18
☆imuimuさん
わっ、そうですね♪
お母様と母は同じ教科書で学んでいた可能性が大きいですね。
是非、お尋ねください。