欧亜国際連絡列車

 JR西日本のホームページで、『欧亜国際連絡列車100周年記念号の旅』という企画を知りました。
 特別列車「サロンカーなにわ」で大阪から米原経由福井県の敦賀まで約2時間の小旅行です。

 素敵な外観の「サロンカーなにわ」は、とても人気があるそうですが、私は欧亜国際連絡列車という単語にひっかかりました。
 欧亜?ヨーロッパとアジアをつなぐ列車…?

 国際連絡列車について調べてみると…、
 飛行機が主流となる以前、四方を海に囲まれた日本から外国へ行くためには、船が欠かせませんでした。国際連絡列車は、都市から外国航路の起点となる港までの列車のことで、外国への船に接続していたそうです。

 そうか!
 青函トンネルができるまで、本州と北海道を結ぶ青函連絡船は重要な役割を果たしていました。長距離列車で青森駅に到着すると、すぐそばの青函連絡船の発着場では出航時間の迫った船が乗客を待ち受けていました。連絡船で4時間かけて津軽海峡を渡り終えた函館でも同様に道内に向けた列車との連携ができていました。
 その外国航路版ということですね。


 日本の開国から第二次世界大戦後にかけて、横浜、神戸、長崎など不平等条約で開港した港は外国航路の運航を担っていました。
 長距離航路では横浜とサンフランシスコ、短距離航路では長崎と上海や稚内と大泊を結ぶ定期運行航路などがあったそうです。
 敦賀とロシアのウラジオストクを結ぶウラジオ航路が「欧亜」と呼ばれたのは、ロシアの極東・ウラジオストクがシベリア鉄道の起点だったからです。ユーラシア大陸の東端ウラジオストクからモスクワまで伸びるシベリア鉄道を利用することで、モスクワからさらにヨーロッパの各都市への移動が容易になりました。


 1912年6月、東京の新橋から金ヶ崎(敦賀港)駅間に「欧亜国際連絡列車」の運行が開始され、ウラジオストクまでの国際航路とシベリア鉄道を介し、それまで海路で40日かかった東京からパリ間が17日で結ばれることになりました。
(JR西日本HPより)
 


そうか!
 第二次世界大戦後、ソ連の抑留から引き上げ船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親の姿を歌った「岸壁の母」の舞台が舞鶴だと聞いても私にはイメージできませんでした。
 かつて舞鶴とウラジオストクの間に国際航路があったという大前提を知らなかったためですね。
 与謝野晶子は、東京から米原経由で敦賀まで出て敦賀からウラジオストクまで船に乗り、シベリア鉄道モスクワ経由で夫の待つパリへと旅をしていることにも納得しました。


 「欧亜国際連絡列車」の運行開始100年を記念して運行されるこの列車は、敦賀港からロシアのウラジオストクに向けて運行されるクルーズ船にも接続しているのだそうです。
 たった一度の運行…。乗ってみたかったけれど、私が知った時点でもう満席だそうです。
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2012-06-20 06:19 | 社会科 | Comments(2)
Commented by 風屋 at 2012-06-20 06:28 x
現代の成田エクスプレスみたいなものですね。



それにしてもパリまで17日「で行ける」!!
Commented by h_with_the_wind at 2012-06-20 22:26
☆風屋さん
港は港でも現代の港は空港ですものね。

パリまで17日。
現代人には長い旅だけど、大陸を馬で駆けていた人たちには驚異でしょうね。