今日はどんな風が吹くのだろう。 日々の思いを書き留める雑文帳。

by 風懐

廃仏毀釈 

 鹿の角きりを見に行った折、春日大社が1871年(明治4年)春日神社に改称した後、1946年(昭和21年)12月に現在の春日大社に改称したと知りました。
 二度の改称が、日本が大きく変わった「明治維新」と「敗戦直後」に一致することに気づいて、昨年の初夏に唐招提寺で聞いた単語「廃仏毀釈」をもう一度思い出すことになりました。


 明治政府は「王政復古」「祭政一致」を実現するために神道を国家統合の基幹にしようと「神仏判然令」を発しました。
 寺院の領地を国が接収し、伽藍や食堂が破壊され、僧侶の中には神官になる者や寺院の土地や宝物を売って逃げる者も現れたそうですから、いかに混乱したかが想像できます。

 興福寺も例外ではなく、五重塔は格安で売りに出されました(値段には諸説あるようです)。当然、神仏習合によって興福寺と一体化していた春日大社も名称の変更だけでなく大きな影響を受けました。

d0087062_13263968.jpg


金属類は再利用、木造部分は薪にされようとしていた五重塔



 また春日大社と道路を挟んでお向かいにある東大寺では、手(た)向山(むけやま)八幡宮が「神仏判然令」に従って東大寺から独立しました。

 宇多上皇にお供した菅原道真が手向山の紅葉を詠んだ有名な歌があります。
   このたびは 幣もとりあへず 手向山
         もみぢのにしき 神のまにまに

               菅家  古今集 巻9

 この由緒ある手向山八幡宮は、東大寺と大仏を建立する際に、宇佐八幡宮から東大寺の守護神として勧請されたといいます。
 外来宗教である仏教を受け入れるために、守護神を勧請したということを、おおらかさと受け止めていいのか、可笑しみを感じていいのか、戸惑ってしまいます。
 ただその土壌に日本古来の八百万の神という思想があり、今も無意識のうちに私たちの根底に受け継がれていることを感じます。


 いつか実物を見たいと願っていたバーミヤンの大仏像。
 ある日突然、我が家の小さなテレビ画面に爆破されていくシーンが映し出されて言葉を失いました。忘れられない強烈な場面ですが、明治時代には同じような光景が日本中で見られたのですね。
 廃仏毀釈から神仏判然令、神仏習合と日本史を遡りながらキーワードが数珠繋ぎになって出てくるちょっと面白い旅をした気分です。
(参考 Wikipedia「神仏分離」「廃仏毀釈」「興福寺」「春日大社」「神仏習合」)


^O^/

遊びに来てくださって、ありがとう

[PR]
by H_with_the_wind | 2015-10-23 13:29 | 社会科 | Comments(0)