今日はどんな風が吹くのだろう。 日々の思いを書き留める雑文帳。

by 風懐

エカチェリーナ二世

 昨夜、エカチェリーナ二世をテーマにしたテレビ番組がありました。

 うーーーん、番組の予告を見た時からひとりで唸っています。
 今年のゴールデンウイークに娘たちを連れて家族で行こうとしていたペテルブルグが舞台です。パスポートも取って旅行会社に予約もいれました。でも、希望した帰りの飛行機が取れなくて諦めざるをえませんでした。

 ロシアがまだソ連という国名だった時代に、私は両親と初めての海外旅行でソ連の古都レニングラードへ旅行しました。この街は、ロシア革命を機にピョートルの街を意味する「ペテルブルグ」からレーニンの街を意味する「レニングラード」に名前が変わりました。ソ連の崩壊に伴ってレーニンの像が倒される姿が象徴的にテレビで放映されましたが、これを機に街の名前も再びペテルブルグに戻されました。

 レニングラードは、ピョートル大帝のほとんど気まぐれともいえる「ここに街を造る」のひと言で、寒気厳しい泥沼地に忽然とあらわれた街です。
 この街でチャイコフスキーの「白鳥の湖」が、ドストエフスキーの「罪と罰」が、生まれました。そして、エカチェリーナ二世がエルミタージユを造りました。
 やがて、豪奢な貴族の生活と貧困にあえぐ農奴の生活のひずみがロシア革命を呼び起こしました。

 レニングラードは、ロシア革命で劇的な変化を遂げた街ですが、同時に古い時代の面影を残しています。そのことが当時の私にとっては驚異でした。
 エルミタージユ美術館を入った瞬間の度肝を抜かれる装飾、イサーク寺院の黄金の屋根、陰鬱なペテロパヴロフスク要塞、青銅の騎士像。
 そして、描写が精確だと言われるドストエフスキーの小説の中に登場する街のたたずまいが、そのまま残っていました。

 街の雰囲気はそこへ行かなければわかりません。
 私は、娘たちが成長したら、是非この街へ私の手で連れて行きたい、と決めていました。日本とはまったく違った街を体感して欲しい、と思いました。

 この春、行くことが叶わず、その後の諸事情を勘案すると、行けなかったのは「まだその時期ではなかったのだ」、と『すっぱい葡萄』の論理で納得したはずでした。
 それが、いきなりテレビ放映されると知って、また心がざわつきます。テレビの小さな画面を通してでも見たいような、やっぱり見たくないような、複雑な気持ちです。
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by h_with_the_wind | 2006-10-27 07:10 | 思い出話 | Comments(0)