龍馬への旅2

 昨日の午後、高知に着きました。
 さっそく、高知市立「龍馬の生まれたまち記念館」で坂本龍馬の脱藩までの足跡をたどり、喫茶店「さいたにや」でコーヒーをいただきました。

 さいたに(才谷)家は、坂本龍馬が生まれた坂本家の本家で、龍馬は、「才谷梅太郎」という変名を用いたことでも知られています。
 喫茶店「さいたにや」は、かつて才谷家があったところだそうです。坂本龍馬好きの店主が20年ほど前に脱サラしてお店を開かれたそうで、坂本龍馬関連の本が揃い、壁にはポスターや写真がたくさん貼られています。
 龍馬ファンが訪れるという店内の雰囲気に、長女の「龍馬モード」が高まりつつあるようでした。


 さて、昨日から、坂本龍馬の足跡を追った旅を続けています。
 今日は朝からホテルの自転車を借りて、高知城を手始めに市内観光をしました。

 午後は、バスに乗って桂浜へ出掛けました。

 バスを降りると波の音が聞こえてきました。どどーん、と響く音が、海の傍に暮らしたことのない私に、旅の高揚感を運んでくれます。

 太陽を反射して海がきらきらと輝いています。打ち寄せる波が深いグリーンの影となり、岩場ではじけて真っ白に変わります。
 好天に恵まれ、気温はぐんぐん上がっているようです。Tシャツ一枚でも充分です。

 1時間の自由時間を作りました。
 次女は、波打ち際を端から端までゆっくり歩きながら、奇麗な石を探しています。私と長女は、桂浜に立つ有名な坂本龍馬の像を写真に撮りました。
 東屋で休む私を残して、長女は、お土産屋さんをのぞきに行きました。春の午後、ゆっくりした時間が流れていきます。

 かつてここの漁師たちは、クジラ漁もしていました。勇猛果敢な海の男たちとクジラの格闘は、今朝、高知城の展示品で見てきたばかりです。

 だけど…、と思います。
 江戸時代、幕府は大型船の建造を禁止していました。(菜の花の沖 司馬遼太郎 文春文庫)。船は、海岸に沿って航行するのみで、ひとたび海岸線から離れると、海流に流されて難破するしかありませんでした。
 海で嵐に出会い、アメリカ船に救助されて数奇な運命をたどったのは、この土地に生まれた中浜万次郎です。ジョン・万次郎と呼ばれ、帰国できた彼は運の強い人で、海流に乗ってしまった人の多くはそのまま海に飲み込まれてしまいました。

 現代、私たちは、この海が太平洋に面していて、海へ漕ぎ出せば広い世界に通じることを知っていますが、江戸時代の一般人の常識として、太平洋の向こうの様子を知る術はなかったのではないでしょうか。坂本龍馬が幼少期に海を見て世界は広い、と感じたのは、出来過ぎのような気がします。
 江戸時代の海の中心は、あくまで瀬戸内海でした。太平洋に面した土佐は、背後に峻険な山を背負って閉鎖した上下関係の厳しい城下町で、孤立していたと考える方が妥当なような気がします。

 それぞれの自由時間を満喫した私たちは、高知県立坂本龍馬記念館へ寄って高知市内へと帰りました。

 夜、坂本龍馬の夢を見そうだ、と夫にメールを送りました。
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by h_with_the_wind | 2007-03-29 23:59 | 課外活動 | Comments(0)