忘れ得ぬ日

 朝、いつもの時間に起きて暖房を入れ、カーテンを開けました。まだ街は闇の中に沈んでいます。
 いつものようにお弁当を作るために台所に立って、ラジオのスイッチを入れました。

 「間もなく黙祷が始まります…」
 ラジオでは、神戸からの生中継の声が流れてきました。
 震災から13年。その年月が長かったのか、早かったのか…。人それぞれであることには違いないでしょう。

 あの日、いえあの日だけではなくそれから季節が変わることを実感するまで、幼稚園児と産まれたばかりのふたりの娘たちと毎日が夢中でした。
 夫は、安全が確認された時点から仕事に戻らなければなりませんでした。
 思い出したように起こる余震は、大きな地震を経験した後では、必要以上に不安を呼び起こします。

 冬、闇…。いくつかのあの時と同じ条件に遭遇した時、揺れている錯覚、揺れるのではないかという不安にかられました。
 何度かの冬を乗り越えて、もうフラッシュバックを経験することはなくなりました。

 ラジオにあわせて私も黙祷をしました。
 今日も昨日と同じ平穏な日でありますようにと願いながら、ボウルに卵を割り入れました。
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by h_with_the_wind | 2008-01-17 23:43 | 思い出話 | Comments(4)
Commented by 風屋 at 2008-01-21 18:10 x
小学校〜高校時代、一緒にバカやった同級生が芦屋に住んでいます。
あの日、朝のニュースでは「大阪の震度5」しか表示されず、
神戸は「まだよくわかりません」と点滅したままでした。
昼になって食事に出た先のTVでことの重大さを知り、
彼に連絡を取ろうと思ったのですが・・・。
ようやく職場に連絡がつき、電話で話せたのは1週間後でした。
いつもふざけた話のやり取りばかりだったヤツの最初の一言は
「神様はどうしてこんなことするのかな・・・」でした。
自宅周辺で何人かを助けたものの、たくさんの犠牲者も見てきたとのこと。
私からは何も言えませんでした。
Commented by h_with_the_wind at 2008-01-22 18:42
☆風屋さん
お返事遅れてごめんなさい。

そうだったのですね。大阪震度5、神戸不明…速報を流されても当事者はそれを知る余裕もありませんでした。揺れながら、自分たちの住んでいる地域が地震の一番大きな影響を受けている、と思っていましたから。
北海道の友人が地震発生以来何度も電話をかけてくれていたそうです。結局、私たちも話ができたのは一週間後でした。お見舞いの電話がどれほど嬉しかったことでしょう。

Commented by 風屋 at 2008-01-23 10:59 x
自分のことで精一杯の瞬間。
大阪でも、神戸でも、淡路でも、その他さまざまな場所で
正確な情報もなくみんな右往左往だったと思います。
いや、そんな想像すらつかない状況だったでしょう。
私が住むような田舎ですら突然の震度5以上は我を忘れる災害。
まして都会ならその恐怖は数倍だと思います。

いつまでも語り継いでいっていただきたいと思います。
若い人はもちろん、私たち他地域の人間にも。
Commented by h_with_the_wind at 2008-01-23 21:59
☆風屋さん
>いつまでも語り継いでいっていただきたいと思います。
そうですね。あの経験から学ぶべきことは、ずいぶんありました。次の世代のためにも耳を傾けてほしい、と思います。

そして、戦争を体験した人がだんだん少なくなってきました。私たちの体験しなかったことを語り継いでいくことの必要と難しさを感じています。