格好いい!

 坂本龍馬は、薩長連合を遂げ、大政奉還を成功させました。新政府を立ち上げる際に新しい官制と人事の提案をしていますが、人事に自分の名前を連ねることをしませんでした。この革命において中心の働きをしたのですから、当然新政府の主流の座に就くべきところを、自ら身を引くと言い出して周囲を驚かせました。

 それが、龍馬はフリーメイソンだったという説を産むのかもしれません。

 自分は新政府には加わらないと断言した後、
 では、これから何をするのか、と問われて
 世界を相手に海援隊をつくる、と答えています。

 気障だけど、格好いい!!

 新政府を樹立しても一筋縄ではいかないことが見えていたのか、ただ面倒になったのか、実際の心中はわかりません。
 あちこち走り回って調停に奔走しているうちに、今が日本の大事という時にも自分の損得や名誉にこだわる人間を見て馬鹿馬鹿しくなったのかな、と私は思います。
 とりあえず反対、話し合いには時間をかけよう、オレに任せろ…。そんなことを言っているうちにもつれた糸はどんどん固くなっていきます。世の中が混乱していても生活は続きます。徳川幕府が倒れても、明治維新と呼ばれても武士階級はともかく庶民の生活が急速に変わるということはありませんでした。
 土佐藩の下級武士・郷士と呼ばれた階級に産まれた龍馬にはそれが見えていたのかもしれません。
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by h_with_the_wind | 2008-04-12 23:59 | 社会科 | Comments(4)
Commented by 大阪ロバ at 2008-04-15 00:01 x
お久しぶりです。
世間の本当の姿が解かっているっていうこと、素晴らしいですね。
仕事をしていても、そういうことが解かる人と解からない人とには、確実に一線を引くことができますが、自分はその線のどちら側にいるかは、残念ながら、自分では解かりません。

こういうことを繰り返して歴史が出来ているのでしょうね。さて、自分は歴史を作る人なのか、ただ居るだけの人なのか、それとも、邪魔な存在なのか。それも、歴史が決めてくれるのでしょうね。
Commented by h_with_the_wind at 2008-04-15 06:57
☆大阪ロバさん
お久しぶりです。お元気ですか?
おっしゃる通りです。他人のことは見えるけれど、自分のことはわかりませんね。
坂本龍馬の生き方も今の私たちだからその姿が見えるわけですものね。歴史が違う方向に流れていたら、「邪魔な存在」だったかもしれませんね。
Commented by 風屋 at 2008-04-15 10:11 x
薩摩は幕府を支える存在だったはずなのに、急展開して長州と手を組んだ。
長州は維新〜明治政府を牛耳り、武力革命から権力闘争を引き起こした。
・・・会津、南部などの奥州列藩は今でもこう見ています(^^;
だから山口県の青年会議所が会津の青年会議所に交流を申し入れても
「たかが100年っ!!」と突っぱね、地元新聞も「よくやった!!」になるのです(笑)

確かに明治新政府の始めの頃のドタバタは苦笑に値しますが、
でも明治維新は薩摩、長州、土佐などの郷士(下級兵士)たちによる
階級革命というかクーデターという側面も持っていると思います。
大名達は貴族にまつり上げ、政治は自分達がハンドリングする。
だから結局は軍事政権にならざるを得ない。
坂本竜馬にはそれがわかっていたのかも知れないなーと
ふと思ったりもしています。
もっと庶民に近いところにいたかったのかも知れません。

改革を提案し、あちこちコーディネートしつつ仕組みを考え、
根回しをしたり、段取りをお膳立てしたりしながら
新しい方向性を目指す・・・
何だか身につまされるものを感じるなぁ(笑)
私の場合は「じゃその後もお前がやれ!! 逃げるな」と叱られますが(^^;
Commented by h_with_the_wind at 2008-04-15 19:21
☆風屋さん
会津藩が長州藩を今でも受け入れられない、というのは聞いたことがありますが、会津だけではなかったのですね。知りませんでした。
その長州も関ヶ原の後、徳川に受けた仕打ちを270年忘れなかったそうですね。毛利のお殿様は、毎晩江戸に足を向けて寝ていた、と何かの本で読んだことを思い出しました。

風屋さんが「現代の坂本龍馬」だとは…(笑)。今度サインしてもらおっと。