大和川

 次女の中間テストが迫ってきました。
 中学2年生の社会科は日本史で、原人から始まって飛鳥時代までが中間テストの試験範囲だそうです。

 社会の教科書がリビングに置いてあったのでパラパラとめくってみました。
 中学生の日本史の教科書は重要項目の羅列で、読んでいて面白くありません。
 歴史は暗記科目、学生時代にそう言われました。丸暗記の得意な人には単純作業で楽勝かもしれないけれど、理屈がわからないと記憶できない私には時間のかかる科目でした。大抵は、テストまでに間に合いませんでしたが…。
 ただ今頃になって時間に拘束されることもなく、遺跡や遺物を実際に見ることもできるようになって俄然面白くなってきました。

 次女の教科書では物足りなくて、長女が高校時代に使っていた日本史の資料集を引っ張りだしてきました。

 資料集に「大和と河内」というタイトルのついた6世紀の地図が載っています。ついこの間、この地図にも載っている生駒山をドライブしたばかりです。
 1300年以上も昔からある山なんだ、と感心してながめているうちに、地図に旧大和川と書き込みがあることに気がつきました。

 現在、奈良県桜井市の北東部にある貝ヶ平山近辺を源流とする大和川は、奈良盆地を横断して生駒山系と葛城山系の間を抜けて大阪平野に入ります。更に大阪市内の南側をかすめるようにしてほとんど直線的に大阪湾に流れて行きます。
 ところが、資料集によるとかつての大和川は、大阪平野に入った後、一度流れを変えて北に進んだ後、難波宮があったとされるあたりでようやく進路を西にとって大阪湾に流れ込んでいたといいます。

 つまり、奈良の飛鳥と難波宮は、川で繋がっていたのです。
 アカデミックな世界だけでなくこの時代のファンの人にとってはきっとすでに常識なのでしょうが、私にとっては新発見でした。
 次女に伝えたい、と思ったのですが、目の前のことでいっぱいいっぱいのようで相手にしてもらえそうにありません。
[PR]
by h_with_the_wind | 2008-05-17 23:59 | 社会科 | Comments(0)