カテゴリ:毛利氏への旅( 9 )

 鞆の浦から福山に出ました。

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 JR福山駅のすぐそばに福山城が再建されています。日本にはなんと多くのお城があったことでしょう。そして今、その多くが再建・修復されています。

 福山城博物館となった天守閣の眼下では、お花見の準備が整っているようです。旅立ちの日、慌ててダウンジャケットを羽織ったのは正解でした。留守にしている間に大阪では雪が降ったといいます。
 思いがけない寒気をついての旅行でしたが、次女とふたり心行くまで満喫しました。旅行の計画、旅行、そして旅行記を書きながらと3度も楽しい時間を過ごすことができました。

 3日間の総歩数、45772歩。登った階段の数、知れず…。

≪毛利氏への旅 完≫

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by h_with_the_wind | 2010-04-04 23:59 | 毛利氏への旅 | Comments(2)

毛利氏への旅 三日目

 とものうら、ともの浦、鞆の浦…。
 鞆の浦という地名を聞いてピンとくる人、どこかで聞いたことがあるぞという人、多いのではないでしょうか。
 で、どこで「ああ」と頷くかというと、これは人さまざまではないかと思います。

 この路地の向こう側にどんな風景を想像されるでしょう。

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 古典に造詣の深い人は、
「鞆の浦の磯のむろの木見むごとに 相見し妹は忘らえめやも」という万葉集の大伴家持旅人の歌を思うでしょう。

 中世の日本史が好きな人は、南北朝の「鞆合戦」を連想するかもしれません。
 戦国時代には、毛利氏が「鞆要害」を築き拠点のひとつとしました。その後、福島正則がこの地に築城しようとして徳川家康の逆鱗に触れ、工事は中止されました。

 今、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」では、坂本龍馬が脱藩したばかりです。
 黒船を間近に見て、いつか乗りたい、と夢にみた坂本龍馬が初めて手に入れた「いろは丸」を事故で失ってこの港に避難しました。
 同じ時代、京都を追われたいわゆる「七京落ち」の勤皇攘夷の三条実美らは、長州を目指す途中、この地の商家に匿われたといいます。

 社会問題に関心のある人は、鞆の浦埋立て架橋計画問題を思うかもしれません。

 また最近では宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」の構想を練った地としても知られています。

 鞆の浦は、歩いてみてもさほど大きな町ではなく、それでも素晴らしい景観と時折歴史のスポットライトを浴びた痕跡が数多く残る静かな港町でした。

≪続く≫

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by h_with_the_wind | 2010-04-03 23:59 | 毛利氏への旅 | Comments(2)
 宮島に着いて厳島神社を参拝した後、歴史民俗資料館、宝物館などを見学しました。

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 大聖院は、真言宗御室派の名刹で京都仁和寺の末寺として高い格式をもち、明治の神仏分離令までは別当職として厳島神社の管理運営を司っていたそうです。

 仁王門に迎えられて境内へと入っていきます。

 ここにも阿吽がありました。

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 お天気には恵まれたけれど、とても3月とは思えない冷たい風にさらされる旅はまだ続きます。

≪続く≫

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by h_with_the_wind | 2010-04-02 23:59 | 毛利氏への旅 | Comments(0)

毛利氏への旅 二日目

 厳島神社へは、宮島口から連絡船に乗りました。

 海の上に浮かぶ大鳥居

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威風堂々。迫力があります。

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 厳島神社では、結婚式が挙げられていました。
 次女は、綿帽子を被った白無垢のお嫁さんを、
「可愛い」と、見とれていました。
「こんなところで結婚できるんだあ」と、憧れの表情です。

 真下から見上げると…。


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 えっ、船に乗って行ったのかですって?
 いえいえ…。

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 朝、宮島に着いた時に海面には看板が沈んでいました。
 面白くて写真に撮っておいたのですが…

 半日遊んで午後の早い時間に同じところへ行ってみると…。

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 右端に写っているのが、身長約160㎝の次女です。
 汐の干満がこんなにはっきりとわかるとは驚きでした。毎日、こんなに変化があるのですね。

 「看板が見えるようになったら、帰っておいでよ」
 私がこの町の住人だったら、子供たちにそう声を掛けるかもしれません。

 現地に行って初めてわかるということがあります。私は何ごとも体験を大切にしたいと思っていますが、おかげで面白い体験ができました。


≪続く≫

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by h_with_the_wind | 2010-04-01 23:59 | 毛利氏への旅 | Comments(2)
 母の故郷が福岡だということもあって新幹線を利用して九州へは何度も行っています。山陽新幹線は、より早く目的地へ到着することに主眼をおいたために極力カーブを回避したそうで、トンネルがとても多くてゆっくり車窓からの風景を楽しめません。

 私たちは、防府から再び広島へ戻るのに、今ではローカル線と化した山陽本線を選びました。

 防府から広島まで約2時間半。山陽本線は、瀬戸内沿いに東西に伸びています。
 呼吸に合わせて流れて行く車窓からの風景をぼんやりと目で追います。乗ってはすぐに降りて行く地元の人たちに生活の気配を感じ、変わりゆく景色が夕焼けから闇に融けて行く様を眺めていました。

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歴史を感じさせる駅名です


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駐車場の向こう側にぽっかりと見える島…
何だか気になります


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視界が開けると昔話に登場しそうな島がみえました
毎日、こんな風景が見られるってどんな生活でしょう


 こういう旅がしたかったのです!!
 20数年ぶりです!!

≪続く≫

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by h_with_the_wind | 2010-03-31 23:59 | 毛利氏への旅 | Comments(2)
 毛利元就に代表される歴史と文化の町安芸高田市へは、車でなければ行くことができません。今回の旅行では断念しました。

 広島城を後にして「中国大返し」を実行しました。
 新幹線で新山口へ出て、山陽本線上りに乗り換えて防府を目指しました。

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 毛利家の家紋の一文字には何種類かあるそうで、それを見れば本家・分家の区別がつくのだと次女が教えてくれました。


 毛利博物館です。

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 ここは、明治25年に井上馨が旧長州藩主毛利氏の本拠にふさわしいとして選定しました。日清・日露戦争のためにすぐに着工することが叶わず、完成したのは明治5年だそうです。
 井上馨こと井上聞多は、幕末に高杉晋作や久坂玄瑞の下で討幕のために活動していた人です。幕末を生き抜き明治政府の中核として大臣を歴任しました。
 旧藩主のために風光明媚な場所に立派なお屋敷を建てる、故郷に錦を飾るということでしょうか。
 勝てば官軍、負ければ賊軍――。
 豪奢な館が必要だったのかどうか――。
 私は幕末の歴史には惹かれるけれど、新政府ができると途端に興味をなくしてしまいます。権力を得た途端にそれを振りかざすようで好きになれません。


 毛利博物館は、歴史資料館としては充実していました。広島城と同様、次女はひとつひとつの展示物をゆっくりと気が済むまで鑑賞しています。

 毛利氏の年表を見ていると、いわゆる「薩長同盟」が「長薩同盟」と書かれていたことが印象に残りました。
 「山口の人は、学校で長薩同盟って習うのかな?」と、次女が言います。
 おそらくその通り、少なくとも戦前の学校では「長薩同盟」と習っていたのではないかと思います。

≪続く≫

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by h_with_the_wind | 2010-03-30 23:59 | 毛利氏への旅 | Comments(0)

毛利氏への旅 一日目

 次女とふたり「なりちゃん」こと毛利元就への旅は、広島城から始まりました。

 天気予報の最高気温は3日間を通して10℃前後の予想です。旅行中は外を歩くことが多いので、急遽、春のコートからダウンジャケットに変更しました。

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 広島城です。
 広島城を築城したのは元就の孫・毛利輝元で、本丸が完成した1591年に入城したものの、石垣や堀の工事はさらに続き、落成までにさらに8年かかっています。が、落成した翌年1600年、関ヶ原の戦いで西軍の総大将だった毛利輝元は、徳川家康によって「周防・長門」に封ぜられます。
 毛利氏に代わって福島正則がわずかな期間入りましたが、その後江戸時代を通して浅野氏が藩主としてこの地を治めました。

 第二次世界大戦で原爆の被害を受けた広島城は、熱線には耐えたものの爆風で倒壊したといいます。現在の天守閣は、昭和33年(1958年)の広島復興大博覧会の折に復元されたもので、鉄骨鉄筋コンクリートだそうです。


 お城の中では、次女が丁寧に展示物を鑑賞し説明を読んでいきます。
 私にとってさらりと流してしまうような文言も並べられた展示物も次女にとってはひとつひとつが興味惹かれることのようです。
 ようやく出口が見えてきたところに体験コーナーが設けられていました。
 体験コーナーでは鎧・兜・陣羽織をつけることができます。ちょっと他所ではあり得ない体験に、嬉々とした次女は戦国武将になったつもりで鎧・兜・陣羽織を身につけていきます。写真を撮られることを嫌う年頃なのに、この時ばかりは素直に被写体となってくれました。

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≪続く≫

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by h_with_the_wind | 2010-03-29 23:59 | 毛利氏への旅 | Comments(2)

次女との旅Ⅱ

 春休みに次女と『毛利氏への旅』に出掛けることにしました。

 ところで、毛利氏への旅というとどこを連想されるでしょう。
 かつて『歴女』だった私は、てっきり山口県だと思っていました。『歴女』こと歴史好きの女性の特徴のひとつは、通史というよりピンポイントな時代にハマることにあるようです。毛利といえば、次女にとっては戦国時代の毛利元就、私にとっては幕末の長州藩。300年近いギャップがありました!

 元就の時代と幕末では、その領土も居城も違います。予定を広島に修正!
 しかも追加で安芸の宮島が指名されました。
 なんで?あそこは、平家と違うの?またタイムスリップかと思いましたが、戦国大名としての毛利元就が、領土を拡大する大きな戦の場となったことを知りました。NKK大河ドラマ「毛利元就」が放映された頃は、まだ子育てに夢中で見ていませんでしたもの。

 自らの手で細かい旅行の計画を立てるのは、何年ぶりでしょう。
 それにしても国鉄からJRになって幾星霜…。周遊券も随分変わりました。今回の旅行では使えません。
 宿の予約は電話からネットに、時刻表の代わりに駅すぱあと、ガイドブックはネットからプリントアウト…。
 それでも最後に頼るのは自分の足です!
 では、いざ、出陣!!
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by h_with_the_wind | 2010-03-28 23:59 | 毛利氏への旅 | Comments(0)

次女との旅Ⅰ

 旅行を決める時、どうしますか。
 旅行代理店に行って、行きたい場所を言う、という人に出会って驚いたのはもう随分昔になります。私は、できるだけ自分の手で計画します。時刻表であれこれ調べるのも苦になりません。

 春休みに次女と旅行しようと思い立ったのは、まだ高校受験の前でした。
 昨年は、長女の受験や祖父母の体調が優先で、次女はいつも後回しになっていました。今回は次女の行きたい所へ行こう、と決めました。

 受験を終えて、どこへ行こう、と次女に問うと
「まーくん!」→翻訳→『伊達政宗→仙台』
 いやいや、この時期の北国は雪解け前でよそ者が気軽にお邪魔できるような甘いものではありません。却下。
「ちーちゃん!」→翻訳→『長宗我部元親』
 うーん、多分、今行ったら坂本龍馬一色です。それに前に同じ季節に行ったし…。
「なりちゃん?」→翻訳→『毛利元就』
 そうね。いいかもね。

 と、いうことで『毛利氏への旅』を企画しました。

 それにしても「まーくん」に「ちーちゃん」に「なりちゃん」って。大丈夫かな、うちの子。女子高生になれるのでしょうか…マジ不安…。
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by h_with_the_wind | 2010-03-27 23:59 | 毛利氏への旅 | Comments(0)