カテゴリ:思い出話( 115 )

いつか来た道

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^O^/
遊びに来てくださって、ありがとう

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by H_with_the_wind | 2016-12-20 23:59 | 思い出話 | Comments(0)

自己紹介 

 アメリカのドラマを見ていました。
 重傷を負って意識不明の男性がICU運ばれ、執刀医が入ってきました。
 執刀医は、患者の枕元で声を掛けます。
「こんにちは。私の名前は○○です……」
 もちろん患者は意識不明ですから返事はありません。


 そう!
 アメリカで同じような体験をしました。
 3歳の長女がプレスクールに入園するのに健康診断書が必要で、病院へ連れて行きました。
 受付を済ませると担当の看護師さんがやってきました。
 彼女は娘が座っていたソファの隣に腰を下ろすと、娘の目を見て挨拶をし、娘の名前を確認した後、胸につけた名札を見せながらゆっくりと自分の名前を発音しました。
 問診や検尿を終えて、看護師さんについて診察室に入りました。
 お医者さんも看護師さんと同様、娘と視線を合わせて挨拶をしました。そして、やっぱり娘の名前を確認してから名乗りました。

 看護師さんもお医者さんも保護者の私にではなく、子供の目を見て自己紹介をされました。その姿に主役が誰かがはっきりしていると感じました。


 帰国後、両親に付き添っていくつもの病院に行きました。
 主治医の名前は、診察室の前や病室のベッドの横に掲げられたネームプレートで確認するのが当たり前になっていました。
 診察室で名乗られることがあってもはっきり聞き取れるものではなく、その視線はパソコンの画面か患部に注がれ、症状の確認も付き添いの私の方を向いていて何だか違和感がありました。


 相手が子供であっても年寄りであっても、意識があろうがなかろうが、ひとりの人間として対応するアメリカ人の姿勢を見習いたいと思っています。
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遊びに来てくださって、ありがとう

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by H_with_the_wind | 2016-03-09 22:39 | 思い出話 | Comments(0)

いちごみるく 

 「いちごみるくって、何か懐かしい。好きなんよねえ」
 突然、長女が言った時、思い当たることがありました。

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 長女が2歳くらいの頃でしょうか。
 当時住んでいたマンションの管理人さんは、幼い子供を見かけると、ポケットからキャンディーを取り出して、子供の手に載せてくださいました。それが『いちごみるく』でした。
 始めて貰った長女は、思いがけないプレゼントに顔を上気させ、私の顔を笑顔で見上げました。私が笑って頷くと、拙い口調でおじさんに「ありがとう」を言いました。
 管理人さんもお孫さんと同じ年頃の子供たちが可愛らしくて仕方がないといった笑顔でした。


 子供たちは、正直です。
 管理人さんがキャンディーをくれる人だということをすぐに覚えます。中には、管理人さんを見つけると駆け寄っていく子供が出てきました。
 管理人さんにもらうキャンディーが原因で虫歯になったら困るから避けていると言うお母さんがでてきました。
 やがて、管理人さんは定年でマンションから去っていかれました。
 ほんの短い時間の出来事でした。


 長女にそんな話をしました。
 長女は、管理人さんとの交流は記憶にないといいます。
 だけど、『いちごみるく』には、他のお菓子にはない魅力があるといいます。
 面白いな、と思いました。
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遊びに来てくださって、ありがとう

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by H_with_the_wind | 2016-01-25 18:48 | 思い出話 | Comments(2)

会えなかった祖母

 明治生まれの祖母に、私は会ったことがありません。
 私が生まれる前に亡くなりました。
 存命だったなら、もう100歳を越えています。

 叔母から写真を見せてもらって、急に身近に感じるようになりました。
 写真の祖母は20歳。
 私の従姉にそっくりです。
 聡明そうな瞳から強い意思が伺えます。豊かな黒髪は、母、私、娘たちへと受け継がれています。
 祖母についてわかっていることはとても少なくて、母や叔母たちから聞いたエピソードを繋ぎ合わせてもふわふわとしていました。
 それが、写真を見た途端に、息吹が感じられるようになりました。

 その子はたち 櫛にながるる黒髪の おごりの春のうつくしきかな

 20歳の祖母が何を夢見ていたのか知る術はありません。
 貴女の曾孫が20歳だと告げたら、どんな表情をするのかと想像したら可笑しくなりました。
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遊びに来てくださって、ありがとう

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by H_with_the_wind | 2015-07-24 19:26 | 思い出話 | Comments(0)

横浜 山下公園にて 

 私の初めての海外旅行は、横浜の大桟橋から始まりました。
 「いつの時代!?」と、驚かれることでしょうね。
 当時も「いつの時代!?」と、笑われました(笑)。

 航空機の時代に、横浜の大桟橋から船で出かけるなんて贅沢なのか吝嗇なのか、はたまた酔狂の極みなのか…。

 おそらく生涯に一度きりの船での旅立ちは、忘れがたい思い出として今も蘇ります。
 色とりどりの紙テープが船上の人と見送る人を繋いだ光景。
 彼方に見える雪をいただいた東北地方の風景。
 船上での拙い英会話。

 もっと深く記憶をたぐり寄せようとする私の左手には大桟橋。
 右手には氷川丸。
 まだ肌に冷たい夜の風が潮の香りを運んできました。

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by H_with_the_wind | 2015-03-29 16:44 | 思い出話 | Comments(0)

おやつ

 大学生の次女が帰省しています。
 買い物に行くと、つい娘の「おやつ」を買ってしまいます。
 おやつを用意するなんて娘が小学生の頃まででした。はるか昔の習慣に従って無意識に動いている自分に笑ってしまいます。


 幼稚園に入る前まで、娘たちにはあんぱんやカステラ、焼き芋や果物といった補助食に近いおやつを用意していました。スナック菓子やチョコレート類は、成長したら自然と口にするだろうから先延ばししても構わない、と考えていました。
 幸いなことに娘がいつも一緒に遊んでいた子たちのお母さんも同じ意見でしたので、おやつの内容に困ることはありませんでした。

 幼稚園に通い始めて間もなく、娘は就園前から遊んでいた友達と一緒に新しく幼稚園でできた友達の家に遊びに行きました。
 翌日、新しい友達のお母さんにお礼を言うと、そのお母さんが笑い出してしまいました。聞くと、うちの娘とその友達が、出されたスナック菓子を猛烈な勢いで食べ始めて止まらなかった、というのです。
 娘たちにとって始めて食べるスナック菓子。
 よほど魅力的だったのでしょうね(笑)。
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by H_with_the_wind | 2015-03-03 23:59 | 思い出話 | Comments(0)

ウイスキーはお好き?

 毎朝、テレビで「ウイスキー、ウイスキー」と言っています(笑)。
 マッサン、見ています。

 先日、夫と出掛けた帰り道、酒屋さんに寄りました。
 洋酒の棚に竹鶴政孝さんとリタさんの写真がレイアウトされていました。
 かつての憧れオールドパーやジョニ黒が国産ウイスキーと変わらない価格で売られています。海外旅行のお土産にお酒はつきもので、とりあえずひとり3本を買って帰ったあの時代が、今となっては不思議に思えます。

 今、日本のウイスキーは世界で一番美味しいと評価されているのだそうです。本場のウイスキーを目指して努力してきたマッサンの情熱が受け継がれ、一本の麦が大きく育ったのですね。


 我が家は日本酒党ですが、毎朝のドラマによる刷り込みが功を奏したのか、つい買ってしまいました(笑)。

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 「懐かしいね」と言いながら選んだのは、サントリーオールドです。
 ボトルの首にチェーンのついた小さなタグを下げて、スナックの棚に並んでいました。タグに名前を書き込む時のちょっとした喜び。ボトルキープは大人の証にみえました。
 そうそう、「角」にするか「だるま」にするかはその時の懐次第です(笑)。


 大きな氷に琥珀色の液体を注ぐ夫の手元を見ていると、懐かしいコマーシャルソングが脳裏に浮かびました。
 ♪ ダンダンディドン、シュービダーデン (笑)
 憂いを帯びた「夜がくる」の音楽。

 ロックを飲み始めた夫に勧められてグラスを口元に運ぶと、ふわっと懐かしい香りがしました。一気に学生時代の記憶が蘇りました。
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by H_with_the_wind | 2015-01-27 20:25 | 思い出話 | Comments(0)

その前日

 20年前の1月16日。今、40歳の人たちが成人式を行った翌日のことです。
 この日は月曜日でしたが、成人の日の祝日が日曜日と重なったために振替休日でした。
 当時、長女は幼稚園の年中組、次女は生後2ヶ月で、私は娘たち中心の生活を送っていました。

 1995年1月16日、振替休日の午後。
 日頃自由に動けない私に代わって、スーパーへ買い出しに行ってくれた主人と長女が大きな袋をいくつも抱えて帰ってきました。
 袋の中からは、何人家族なの?と思うくらいの量のおでんの材料が出てきて、私は大笑いをしてしました。
 主人と長女で買い物をしているうちに楽しくなったのでしょう。あれもこれもとどんどん増えていったとのことです。

 その夜は、買ってきてもらった材料の半分の量で、いつものとおり我が家で一番大きなお鍋にいっぱいのおでんを作りました。

 夕飯におでんを食べて、お風呂に入り、いつものように長女を寝かせました。
 その後、特に理由はなかったのですが、なぜかいつもよりたくさんの量のお米を洗って、翌朝のいつもの時間にタイマーをセットしました。
 週末に洗った長女の上履きを靴袋に入れて、登園準備を整えました。
 一日の最後の仕事、深夜、次女の授乳を終えたところ、なんだか次女の鼻がグズグズといったような気がしました。長女を幼稚園に送って行くのに連れて行かなければなりません。鼻が通りやすいようにと初めてうつ伏せに寝かせました。

 次に私が目覚めたのは、5時半。次女のグズグズいう声が聞こえたように思ったからです。授乳の準備をしているうちに次女はまた寝入ってしまいました。
 それからしばらくしてーー。


 先日、当時のご近所さんとランチをしたところ、
「あの地震の時、おでんをありがとう」と言われました。
 主人と長女が思い切り買ってきたおでんのおかげで地震の後の数日を乗り越えることができたという記憶はありますが、ご近所さんにお裾分けまでしていたなんてすっかり忘れていました。


 1995年1月17日、朝7時。
 食器棚から飛び出して割れた食器の片付けをあらかた終えた頃、いつも通りにご飯が炊き上がる電子音が鳴りました。
 反射的にお握りを握った記憶が蘇ります。停電しなかったことに感謝し、こんな時にもちゃんとご飯が炊き上がったことがとても嬉しく思えました。

 あの日、偶然にもうつ伏せで寝ていた為、ベッドの揺れに身を任せて眠り続けた次女は、今年成人式を迎えました。
 あの日の夕飯はおでん、今日は湯豆腐でした。あの日と同様、寒さの厳しい一日でした。
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by H_with_the_wind | 2015-01-16 22:25 | 思い出話 | Comments(0)

興浜線

 司馬遼太郎さんの『街道シリーズ38・オホーツク街道』。
 モヨロ貝塚のことが知りたくて読み始めた紀行で、昔から疑問に思っていたことが解決しました。


 回り道します。
 JRが国鉄だった頃、北海道には函館本線や室蘭本線といった本線から延びる支線がたくさんありました。鉄道路線を恐竜の骨格にたとえるなら、肋骨や大腿骨にあたる本線は今も残っていますが、小さな骨はJRとして分割された途端に風化してしまいました。

 国鉄が風前の灯となった頃、『カニ族』最後世代の私は、北海道の周遊券を手にオホーツクへと向かっていました。
 目的は、興浜線の制覇です(今なら乗り鉄の「鉄子」と言われるかな)。

 興浜線は、国鉄が計画していた興部(おこっぺ)駅と浜頓別(はまとんべつ)駅を結ぶ路線です。一部区間が興浜南線・興浜北線として開業したものの、全通することなく廃止されました(Wikipedia参照)。

 興浜南線は、オホーツク海沿いの町・紋別より更に北にある興部から雄武(おうむ)まで北上していました。興浜北線は、稚内からオホーツク海に沿って南にある浜頓別から南下して北見枝幸へと通じていました。当初の予定では、南北両側から線路を敷設して中央で繋がるはずでした。
 私が興浜線の存在を知った当時、中央部の未完成区間約50Kmは宗谷バスが運行していました。
 とにかく行ってみたいと思いました。

 興部を出発した私の小さな旅の望みは、残念なことに連絡が悪く、そして残念なことに連絡が良く、呆気なく達成されました。
 連絡が悪いというのは、そもそも興浜南線も興浜北線も一日の本数が少なくて選ぶことができませんでした。
 逆に連絡が良いというのは、電車とバスの連絡が良かったため雄武も北見枝幸も駅前を散歩する時間もなく乗り継ぐしかなかったことです。
 たった一両で走るローカル線は地元の方ばかりで、車窓から見えるオホーツクの寄せては返す波を見ながら、
「いつかは全通するのだろうか」
「将来、全線開通したら、かつて途中でバスに乗り換えたことを子どもたちに話す日がやってくるのかもしれない」
 呑気にそんなことを思っていました。
 それにしても乗降客の少ない車中にあって、
「大きな町を結ぶというわけでもなさそうなのにどうして鉄道の敷設が計画されていたのか」、という理由がわかかりませんでした。


 それが「かねてから疑問」に思っていたことです。
 司馬遼太郎さんの『街道シリーズ38・オホーツク街道』の中にヒントがありました。
 オホーツクに注ぐ川の河口で金が取れた、という記述でした。また、オホーツク海を挟んで、樺太があったということを思い出させてもらったからでした。
 昭和初期に興浜線の計画ができた時代背景を思うと、あながち間違いではないのではないかと思っています。
 金が採れるらしいという噂。
 樺太へ行くための中継地点。
 もしかしたら、オホーツクの海沿いにたくさんの人が集まったのかもしれません。
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by h_with_the_wind | 2014-05-30 21:47 | 思い出話 | Comments(0)

ひと口カツ

 ひと口カツを揚げました。

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台所でカツを揚げながら、母のことを思い出していました。


 小学生の頃、遠足のお弁当が楽しみでした。
 母に
「おかず、何がいい?」と、聞かれると私は決まって、
「ひと口カツ!」と答えました。

 遠足の朝、母は私のリクエストに応えてカツを揚げてくれました。
 香ばしい香りとジュージューという音が私の布団まで漂ってきました。

 いつもよりも早く起きて私のお弁当を作る、それから仕事に出掛ける、そんな母の生活を思いました。
 まだ電子レンジもなく、冷凍食品もそんなに豊富ではなかった時代です。
 お弁当の分だけ揚げ物をする煩わしさを口にすることもなかった母の後ろ姿を思い出しました。


 揚げ物をする時には、じっとそばについていなければなりません。
 思い出は、お弁当にまつわる母の武勇伝に派生しました。
 うふふ…、ひとりで思い出し笑い。内緒。母と私の秘密(笑)。
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by h_with_the_wind | 2013-10-18 21:37 | 思い出話 | Comments(8)