カテゴリ:思い出話( 116 )

クリスマスツリー

 夫の仕事の都合でアメリカに住んでいたことがあります。ロッキー山脈の麓にある町でした。

 サンクスギビングデーが過ぎた頃、夫の友人がクリスマスツリーを届けてくれることになりました。我が家には、帰国しても飾れる程度のツリーを買って、すでに3歳の娘とデコレーションもすませていました。そこにツリーを届けるという申し出です。せっかく言って下さっているのですし、ツリーが2本というのも楽しいかも…と、安易に受け止めていました。

 土曜日の夕方、2m以上もあるツリーが届きました。
彼は、にこにこしながら
「今日、山で切ってきたんだ。水をやり続けたら来年までもつからね」と、言ってツリーをセッティングしてくれました。そして、
「水やり忘れないようにね」と念を押して帰っていきました。

 ついさっきまでロッキー山脈に根をおろしていた瑞々しい木が、我が家のリビングにあることに、私はただ圧倒されていました。
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by h_with_the_wind | 2006-12-12 23:59 | 思い出話 | Comments(2)

うどん

 お天気が崩れ、急に寒気が強くなりました。こんな日は、あったかいおうどんが食べたくなります。町を歩いていて、おうどんのおいしそうな出汁の香りがすると、そちらの方へ行きたくなります。

 私は学生時代を北海道で過ごしました。
 入学して間もない頃、私はできたばかりの友人と学食に行きました。4月の札幌は、「馬糞風」と呼ばれる強烈な風が吹きます。冷えた身体を早く暖めたくて、昼食にはおうどんを選びました。
 食券を買って麺類の列に並びます。これまで知っているうどん屋さんとは違う匂いがするように思いましたが、ラーメンも同じ窓口から出されるので、あまり気にもとめませんでした。食欲は全開です。

 間もなく、私の前に差し出されたおうどんを見て絶句してしまいました。おつゆが真っ黒です。関西の人間にとって、そう見えただけでしょうが、おつゆの色で白いうどんが隠れています。
 北海道出身の友人は、躊躇なく薬味を入れてテーブルへと移動して行きます。周りを見回すと、みなおいしそうに食べています。ちょっと興味もわいて私も続きました。
 おつゆを一口飲みました。幼い頃から慣れ親しんできた出汁味とは全く違うお醤油味は、私には濃すぎました。

 知識として、関西と東京のおうどんが違う、とは知っていましたが、「北海道よ、お前もか…」と、暗澹たる気持ちになりました。私にととって最初の北海道文化との出会いでした。
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by h_with_the_wind | 2006-11-11 21:29 | 思い出話 | Comments(2)

黄葉

 おだやかな秋の日が続いています。こんなに暖かくていいのかなあ、と思うくらい優しい日差しです。
 おかげで紅葉は遅々として進まないように思われます。

 ロッキー山脈は、もう冬化粧したのでしょうか。
 ロッキーの黄葉は、忘れ得ない風景です。
 もう二度とあの光景を目の当たりにすることはないのでしょう。デンバーから車で三時間ほどのところにあるエステスパーク。さらに車で走るとそこに着きます。
 空気までが違っていました。四方の木々が黄色一色に染まっていました。太陽を浴びて金色に輝いていました。風が吹くと一斉に揺れてキラキラという音が聞こえてきました。荘厳な自然の姿に神聖ささえ感じました。

 多分、同じ場所に行ったとしても、同じ時期に行ったとしても、あの景色とは会えないような気がします。
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by h_with_the_wind | 2006-11-05 15:52 | 思い出話 | Comments(0)

世界史

 世界史未履修問題で日本中が騒いでいます。そんな世間の喧噪に母のエピソードを思い出しました…

 母は昭和ひとけた生まれです。私が高校二年になった時、母は買ったばかりの真新しい教科書の中から世界史の教科書を手に取りました。
「見せて」母は言うと一晩、娘の教科書を熱心に読んでいました。翌朝、ありがとう、とだけ言って教科書を返してくれました。
 友達の中でも「面白いお母さん」と言われた母です。いつもの気まぐれくらいにしか思わず、私は教科書を受け取ると高校生活に戻りました。

 しばらくして、母は、何人かの友達を募って「世界史の勉強会」を立ち上げました。
「歴史はシュメールに始まる…」とか何とか言いながら月に一度「世界史の勉強会」とやらに出掛けて行きました。

 「母が友達と世界史の勉強を始めたんです」
 社会科の先生と雑談をしている時に私は何気なく言いました。その先生は私に母の年齢を聞くと、急に真顔になって
「これ、持って帰って。お母さんにプレゼント」と、最新の世界史年表を下さいました。
 帰宅して先生からいただいた世界史年表を母に渡すと、母はとても喜んであれこれと年表を見ていました。

 母の勉強はシュメール文明から始まったものの、素人集団かつひとつの疑問が次の疑問を生み遅々として進まないようです。
 私たちの授業はどんどん進みますので、そんな母たちを冷えた目で見ていました。
 それでも「世界史の勉強会」は、3年ほど続いたでしょうか。仲間の引越しや病気を理由に自然解散したようです。

 随分後になってからです。母が第二次世界大戦中に学生時代を送っていたことに思い当たりました。母たちが習った歴史は、私たちの習った歴史とは違ったのです。私の世界史の教科書を見て本当に驚いたのだと気が付きました。戦争直後、教科書を墨で消した、という体験の持つ意味の重さを知りました。

 今、かつての恩師にいただいた世界史年表は、私の書棚にあります。時々、現役高校生の娘が見ているようです。
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by h_with_the_wind | 2006-11-03 22:20 | 思い出話 | Comments(0)

エカチェリーナ二世

 昨夜、エカチェリーナ二世をテーマにしたテレビ番組がありました。

 うーーーん、番組の予告を見た時からひとりで唸っています。
 今年のゴールデンウイークに娘たちを連れて家族で行こうとしていたペテルブルグが舞台です。パスポートも取って旅行会社に予約もいれました。でも、希望した帰りの飛行機が取れなくて諦めざるをえませんでした。

 ロシアがまだソ連という国名だった時代に、私は両親と初めての海外旅行でソ連の古都レニングラードへ旅行しました。この街は、ロシア革命を機にピョートルの街を意味する「ペテルブルグ」からレーニンの街を意味する「レニングラード」に名前が変わりました。ソ連の崩壊に伴ってレーニンの像が倒される姿が象徴的にテレビで放映されましたが、これを機に街の名前も再びペテルブルグに戻されました。

 レニングラードは、ピョートル大帝のほとんど気まぐれともいえる「ここに街を造る」のひと言で、寒気厳しい泥沼地に忽然とあらわれた街です。
 この街でチャイコフスキーの「白鳥の湖」が、ドストエフスキーの「罪と罰」が、生まれました。そして、エカチェリーナ二世がエルミタージユを造りました。
 やがて、豪奢な貴族の生活と貧困にあえぐ農奴の生活のひずみがロシア革命を呼び起こしました。

 レニングラードは、ロシア革命で劇的な変化を遂げた街ですが、同時に古い時代の面影を残しています。そのことが当時の私にとっては驚異でした。
 エルミタージユ美術館を入った瞬間の度肝を抜かれる装飾、イサーク寺院の黄金の屋根、陰鬱なペテロパヴロフスク要塞、青銅の騎士像。
 そして、描写が精確だと言われるドストエフスキーの小説の中に登場する街のたたずまいが、そのまま残っていました。

 街の雰囲気はそこへ行かなければわかりません。
 私は、娘たちが成長したら、是非この街へ私の手で連れて行きたい、と決めていました。日本とはまったく違った街を体感して欲しい、と思いました。

 この春、行くことが叶わず、その後の諸事情を勘案すると、行けなかったのは「まだその時期ではなかったのだ」、と『すっぱい葡萄』の論理で納得したはずでした。
 それが、いきなりテレビ放映されると知って、また心がざわつきます。テレビの小さな画面を通してでも見たいような、やっぱり見たくないような、複雑な気持ちです。
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by h_with_the_wind | 2006-10-27 07:10 | 思い出話 | Comments(0)

黒枝豆

親友から季節の便りが届きました。丹波篠山の黒枝豆です。緑豊かな地に住んでいる友人の笑顔が浮かびます。

 最後に会ってから1年と11ヶ月になります。
 高校時代は毎日会っていました。学生時代には一緒に旅行もしました。離れた土地に暮らしていても頻繁に手紙のやりとりをしていました。
 でも、社会に出て後、結婚、子育てとお互いに自分の身近な世界で精一杯に過ごすうち次第に疎遠になっていきました。

 子育てが一段落したら、また学生時代のように旅行に行きたいな、と思います。話すことはいっぱいあります。

 黒枝豆のお礼の電話をいれました。
「着いた?」と受話器の向こうで明るい声がしました。高校時代と変わらない声です。仕事に趣味に忙しく過ごしている彼女から、またエネルギーをもらいました。
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by h_with_the_wind | 2006-10-20 09:19 | 思い出話 | Comments(0)