カテゴリ:思い出話( 117 )

ナースキャップ 

 次女の剣道着について書いていて思い出しました。母が看護婦の制服を着ている姿、格好良かったなって。

 私が小学生の頃は学童なんてありませんでしたから、学校が終わると母が働く病院へ行って看護婦さんの休憩室で母の仕事が終わるのを待っていました。
 母は、制服もストッキングもナースシューズも白、頭にはナースキャップを乗せて病院の中をきびきびと動いていました。
 患者さんの様態次第では、随分遅くまで待っていなければならないこともありました。私服に着替えた途端に、ふーっと力が抜けて行ってスイッチが入れ替わることが私にもわかりました。
 そうして私は、毎日母の働く姿を見て大きくなりました。注射が上手だったとの評判でしたが、結局、母に注射してもらうことはありませんでした。母は、私にとってあくまで母であり、看護婦にはなりませんでした。

 時代が流れ、看護婦さんは看護師と呼ばれ、ナースキャップも見かけなくなりました。制服には患者さんの恐怖心を解消するためとの理由からピンクやブルーが採用され、動きやすいようにとワンピースからパンツに変わりました。

 父の付き添いで大きな病院に行くと看護師さんだけでなく技師さんや事務の人がたくさん働いています。ナースキャップを見かけなくなってどなたが看護師さんかわからなくて戸惑うことも多々あります。

 そうそう母が感動したと語ってくれた看護師として自立するための儀式「戴帽式」は、もうなくなってしまったのでしょうか。
^0^/

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by h_with_the_wind | 2010-06-07 23:59 | 思い出話 | Comments(4)

お弁当 

 中間テストで中断していた次女のお弁当が復活です。
 昨日、時間をかけることが料理の秘訣とばかりにじっくり煮込んだ豚の角煮、冷めても大丈夫!だと思うのだけど…^^;

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 そういえば新婚時代、新婚旅行で食べ物の写真を撮り始めたことをきっかけに、毎日晩御飯の写真を撮っていました。
 あの時代にインターネットがあれば、私のブログも少し違っていたかもしれません。
^O^/

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by h_with_the_wind | 2010-05-31 18:42 | 思い出話 | Comments(4)

シルクロードの町

 その年の春、3月。
 シベリアから空路天山山脈を越えました。
 飛行機の窓下には雪を頂いた稜線が途切れることなく続きます。深夜のトランジットのためか、変わらぬ風景の連続に眠気を誘われたのか、うとうととしてしまいました。目が覚めて時計を見、20分も寝ていたことを知りました。それでも窓の下には、さっきと変らぬ風景が続いています。いつ途切れるかもしれない山の連続にユーラシア大陸の広大さを感じました。

 そうして着いた町がソ連ウズベク共和国の首都タシケントでした。
 タシケントは、中央アジアにあるシルクロードの要衝地です。三蔵法師の時代にも「石の町」として登場する歴史のある町です。

 シベリアの白く閉ざされた町から到着した私には、陽光に輝く春の装いの町がただまぶしく映りました。

 ホテルに入ってラジオのスイッチを入れると、豊かな声量の歌が部屋に流れました。いえ、歌とは少し違うようです。しばし聞き入ってしまいました。ロシア語ではなく、もちろん英語でもありません。何を言っているのかまったく理解できないけれど、聞く者の心を捉えて離さない魅力がありました。
 これがコーランの朗誦でしょうか。

 この町で初めてイスラム教に触れました。イスラム教の戒律は厳しいと聞いていますが、私には豊かで解放された懐の深い宗教とのイメージが刷り込まれました。

道標5
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by h_with_the_wind | 2010-05-10 23:59 | 思い出話 | Comments(0)

読み聞かせ

 村上春樹さんの小説「1Q84」の中に、息子が昏睡状態の父親に本を朗読する場面が出てきました。

 長女が幼い頃、毎晩絵本の読み聞かせをしていました。
長女が生まれた頃に出版された「世界おはなし名作全集」の中に収められた「赤ずきんちゃん」「大きなかぶ」「ブレーメンの音楽隊」を始めとして、たくさんのおはなしを読んでやりました。

 次女にももちろん…、と言いたいのですが…。
 次女が生まれて、本の読み聞かせをしてやろうとすると、
「私が読む…」と、お姉ちゃん登場!
 私の出番はなくなってしまいました。でも、妹のために読んでやろうという長女の気持ちが嬉しくて任せることにしました。時々「聞いてるの?」なんて偉そうに確かめながら、たどたどしく読む姿は微笑ましい姉妹のエピソードとして鮮やかに私の脳裏に浮かんできます。
 私が次女に本を読んでやったのは、ハリー・ポッターです。さすがにハリー・ポッターは長女も自分が読むだけで精一杯でしたから私の出番となりました。毎晩少しずつ魔法の世界の話を読んでやりました。

 病床の母を相手に本を朗読したのが、今のところ私の読み聞かせの最後です。
「漢の武帝の天漢二年秋九月……」
 「李稜」です。
 寝ているのか起きているのか、意識があるのかないのか、返事をする元気がないのかそれとも単に面倒臭いだけなのか、判然としない母にできることはないかと探して思いついたのか「読み聞かせ」でした。
 晩年は好きだった読書も叶わず、ただ時をやり過ごしているかに見えた母に少しだけ読んでみようと思い立ったのでした。

 村上春樹さんの小説とは違って、私が数ページ読んだ時、急に眼を開けた母は驚いた表情を浮かべて声の主を探し求めました。
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by h_with_the_wind | 2010-04-18 23:59 | 思い出話 | Comments(2)

ごー ぱありい

 「Go Party!」
 次女の最近の口癖です。何かにつけGo Party!

 次女が見ているアニメでは、マー君こと伊達政宗公は英語が得意だそうです。出陣の際にもGo Party!と叫ぶようです。
 It’s a Show time!と同じ使い方でしょうか。

 次女が頻繁に使うのを耳にしているうちに、私の中でピンと繋がる光景がありました。
 長女が幼い頃…。
 その時、私たちはアメリカに住んでいました。
 長女が現地のプレスクールに通い始めて間もなく、トイレへ行く時に、
「ごー、ぱありい」と断って行くことに気が付きました。
 子供は、身近なことから言葉を覚えていきます。「ごー、ぱありい」は、プレスクールで身についた習慣でした。
 そして、そのいいように私は花の都パリを思い浮かべました。トイレに行くことを「パリに行く」だなんて、なんておしゃれなんでしょう、と勝手に思い込んでいました。
 ホントは、Partyだったのですね。長女が聞いたままに発音したPartyは、日本人の母にはParisに聞こえたのですね。

 思い出したことを次女に言ってみました。
 「マー君、トイレ?」
 「………」 
 シカトされました。

追記:「ごー ぱありい」と私が本文で表記したのは、「Go potty.」で「おまる」とか、幼児語の「トイレ」だそうです。発音はよく似ている、と専門の方からご指摘をいただきました。
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by h_with_the_wind | 2010-04-11 23:59 | 思い出話 | Comments(2)

大坂城

 大阪産まれ大阪育ちの私にとって、大阪城はいつも変わらぬ佇まいで揺るぎないことの象徴のような存在です。高度成長期にもバブルが弾けた時も大阪の中心にどんと腰を据えていました。
 飛行機で伊丹空港を目指す時、眼下に大阪城が見えると、帰ってきたことを実感します。

 現在の大阪城天守閣は昭和6年(1931年)に再建された姿で、以来現在まで変わらぬ姿でそこにあります。変わらぬ姿で70年もあり続けたのは、築城から400年の歴史の中で最長の記録だそうです。戦火と自然災害で何度も焼け落ちていますが、そのたびに再建されてきました。

 私が通っていた学校の地下には、秀吉伝説がありました。
 地下室の奥に鉄の柵が降りていて、その柵の扉には頑丈な鍵がしてあるそうです。柵の向こう側には地下通路が延びていて、辿っていけば大阪城に通じている、というものです。
 地下室への階段を降りることさえ禁止されていましたから、柵を見た、という証言だけでヒーローでした。
 先生は、そんなところへは行ってはいけないと言いました。
 大人は、それを第二次世界大戦の時に作られた防空壕だと言います。

 小心者の私は地下室に降りたことさえないけれど、大阪城に通じていればいいのに、と思っていました。
 今でもふと、本当は繋がっているのではないかな、と夢想します。もしかして淀殿がそこから逃れたのなら…と。
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by h_with_the_wind | 2010-04-08 23:59 | 思い出話 | Comments(0)

リムーバー

 大学の入学式前夜、長女が
 「そや、マニキュア落とさな!」と言うので、
「落とさなくてもいいやん、可愛いよ」と、答えました。
 学校イコール身だしなみ。中学高校での生活が身についていることが少し可笑しくも思えました。

 成人式の前日、
「マニキュア、落としなさいよ」と、声を掛けると、
「お母さんの基準がわからん、入学式の日はつけてたら怒られると思っていたのに落とさんでいいっていうし…」と、言いながら落としていました。

 基準?あるよね。まあ、最近では和服でも綺麗な爪をしている人もいるけれど…。

 長女のマニキュア初体験は3歳でした。
 アメリカでプレスクールに通っていた時、帰宅した長女の爪はピンクでした^^; 先生のコーリーが塗ってくれたんだとさ^^; アメリカだね。
 それもいいか、面白い体験だ、と放っておいたのですが、やっぱりそのままにしておくわけにもいきません。私はマニキュアをしないので、除光液を持っていなくて薬局に買いに走りました。

 あらかじめ辞書で「除光液」を調べたのですが、載っていません。
 行けばなんとかなるかな、と思っていたのですがいくら探しても見つけることができませんでした。 マニキュアやつけ爪はいっぱい並んでいるのに除光液らしいものが見当たりません。
 単語もわからない、見てもそれらしき物がない…。
 店員さんを捉まえて、あれやこれやと説明してようやく知った単語
「リムーバー!」なるほどね。「もっかい(もう一回)動く」か。

 爪がますますおしゃれのポイントになっている今、町では普通にリムーバーという単語が飛び交っています。
 昔の日本人は、その単語を知らなくてどんなに冷や汗をかいたことか誰も知らないでしょうけど。
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by h_with_the_wind | 2010-02-05 23:59 | 思い出話 | Comments(0)

ぬくい…

 お正月の寒波が嘘のような暖かさです♪
 思わず「ぬくっ」とつぶやいていました。
 あのお正月の寒気と、ぽかぽかと気持ちのいい今日のような日和が平均した日が続けばいいのに…。


 「思たより、ぬっくいなあ…」
「ほんまやなあ、ぬくいなあ…」
 マイナス1度か2度、確かにその頃の気温にしては暖かい札幌の雪まつり会場で、後ろからそんな会話が聞こえてきました。
 「大阪の人?」と、笑い交じりに小さな声で道産子の友達は私に尋ねました。
 学生時代のことです。
 「暖かい」ことを大阪では「ぬくい」と言います。
 うん、と言いながら私は、消え入りたいほど恥ずかしい思いをしていました。

 大阪弁が通じないことを他所の土地で暮らして痛感していたころでした。
 寒くなって季節のものをしまったことを話題にしようと、
 「扇風機、なおしてん」と言うと、
「壊れたの?」と聞かれ、
 先輩に
 「読みはったんですか」と言うと、
「うん、読みはってん」と、敬語まで真似されて居心地の悪い思いをしたこともあります。

 ところで、私が今でもこのエピソードを記憶しているのは、恥ずかしく思ったからです。
 大阪弁が?いえいえ、
 大阪の人は、声がでかい!これはなんでやろ?
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by h_with_the_wind | 2010-01-20 23:59 | 思い出話 | Comments(4)

綿入れ半纏(はんてん)

 大学に入って一年目の冬、私は女子寮にいました。女の子が集まると、そこで小さなブームが起きることがあります。
 東北出身の友人のところに故郷のお母さんから「綿入れの半纏」が送られてきました。
 「こんなの着ないよ~」と、少し渋い顔の本人と、それを見て
「受験の時に半纏を着て勉強したよ」と、懐かしそうに言う友達。
 ふたりの間で、本物の半纏を見るのは初めてだった私は、小さなカルチャーショックさえ受けていました。

 そんな私の所へ、
「北海道は寒かろう…」と、福岡に住む母の叔母が綿入れの半纏を縫って送ってくれました。
 嬉しかったなあ♪ めんこいっしょ!
 受験の時に着ていたという友達も実家から送ってもらって、いつしか仲間内での小さなブームになりました。

 おととし、呉服屋さんの店頭で「半纏」を見つけました。懐かしくてつい立ち止まってしまいました。中は化繊のようで、綿入れ程ずっしりとしていません。
 長女が着るかな、と思って買いましたが、あれこれ重ね着が嫌いな長女には呆気なく却下されました。

 今年、戦国ブームの次女に見せると
「可愛い!着てもいいの?」と、飛び付きました(笑)。以来、夜になると着ぶくれした次女が編み物をしています。
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by h_with_the_wind | 2009-11-18 23:59 | 思い出話 | Comments(5)

かあさんの味

 先日、うっかり味噌を使い切ってしまいました。味噌にこだわりがあるわけでもないのですが、いつの頃からか買い物の荷物を減らしたいこともあって宅配業者に注文するようになっていました。次の注文までまだ日にちがあったのでスーパーで代わりの味噌を買うことにしました。

 久しぶりにスーパーの味噌コーナーに行ってみると、あまりに種類が多くてどれにしようかと迷ってしまいました。ぎっしりと棚に並んだお味噌のパッケージを順番に見ていて、日本海味噌が目につきました。カップの蓋には 藁頭巾をかぶった「ゆきちゃん」がいます。

 脳裏に懐かしい日本海味噌のCMが浮かびました。
 藁頭巾をかぶった女の子を思い出すと同時にバックに流れていた音楽が浮かんで、促されるようにその味噌を買って帰りました。

 帰宅して改めて検索してみると、勘違いしていたことに気付きました。
 「日本海」とキャラクターの「ゆきちゃん」という名前から、私は豪雪地帯の新潟を連想してずっと新潟産だと思い込んでいました。
 だけど、実際にはお隣の富山県で作られているのですね。歌にもちゃんと「越中」とありました。更に「剣」「立山」「黒部」と富山県の誇る山の名前が織り込まれていたことを知りました。
 このCMソングは「浪速のモーツアルト」ことキダ・タローさんが作曲されているのだということも知りました。

 お味噌汁が欠かせなかった昭和の日本、「かあさんの味」と言われていた時代を懐かしく思い出しました。
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by h_with_the_wind | 2009-11-15 23:59 | 思い出話 | Comments(2)


今日はどんな風が吹くのだろう。 日々の思いを書き留める雑文帳。


by 風懐

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