カテゴリ:社会科( 204 )

引退

 最後の「国鉄色の特急」が今日、引退です。

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 子供の頃から当たり前にあったものが次々と姿を消していきます。
 時にはマスコミで大きく取り上げられて惜しまれながら、時には気づかないうちにひっそりと。

   降る雪や 明治は 遠くなりにけり

 昭和6年(1931年)、大学生だった中村草田男の俳句です。
 新しい時代だった昭和もすっかり遠くなってしまいました。
^O^/

遊びに来てくださって、ありがとう

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by H_with_the_wind | 2015-10-30 09:26 | 社会科 | Comments(0)

廃仏毀釈 

 鹿の角きりを見に行った折、春日大社が1871年(明治4年)春日神社に改称した後、1946年(昭和21年)12月に現在の春日大社に改称したと知りました。
 二度の改称が、日本が大きく変わった「明治維新」と「敗戦直後」に一致することに気づいて、昨年の初夏に唐招提寺で聞いた単語「廃仏毀釈」をもう一度思い出すことになりました。


 明治政府は「王政復古」「祭政一致」を実現するために神道を国家統合の基幹にしようと「神仏判然令」を発しました。
 寺院の領地を国が接収し、伽藍や食堂が破壊され、僧侶の中には神官になる者や寺院の土地や宝物を売って逃げる者も現れたそうですから、いかに混乱したかが想像できます。

 興福寺も例外ではなく、五重塔は格安で売りに出されました(値段には諸説あるようです)。当然、神仏習合によって興福寺と一体化していた春日大社も名称の変更だけでなく大きな影響を受けました。

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金属類は再利用、木造部分は薪にされようとしていた五重塔



 また春日大社と道路を挟んでお向かいにある東大寺では、手(た)向山(むけやま)八幡宮が「神仏判然令」に従って東大寺から独立しました。

 宇多上皇にお供した菅原道真が手向山の紅葉を詠んだ有名な歌があります。
   このたびは 幣もとりあへず 手向山
         もみぢのにしき 神のまにまに

               菅家  古今集 巻9

 この由緒ある手向山八幡宮は、東大寺と大仏を建立する際に、宇佐八幡宮から東大寺の守護神として勧請されたといいます。
 外来宗教である仏教を受け入れるために、守護神を勧請したということを、おおらかさと受け止めていいのか、可笑しみを感じていいのか、戸惑ってしまいます。
 ただその土壌に日本古来の八百万の神という思想があり、今も無意識のうちに私たちの根底に受け継がれていることを感じます。


 いつか実物を見たいと願っていたバーミヤンの大仏像。
 ある日突然、我が家の小さなテレビ画面に爆破されていくシーンが映し出されて言葉を失いました。忘れられない強烈な場面ですが、明治時代には同じような光景が日本中で見られたのですね。
 廃仏毀釈から神仏判然令、神仏習合と日本史を遡りながらキーワードが数珠繋ぎになって出てくるちょっと面白い旅をした気分です。
(参考 Wikipedia「神仏分離」「廃仏毀釈」「興福寺」「春日大社」「神仏習合」)


^O^/

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by H_with_the_wind | 2015-10-23 13:29 | 社会科 | Comments(0)

唐招提寺

 蛇消えて 唐招提寺裏 秋暗し
              秋元 不死男


 理由はわからないけれど、心に残っている字句や言葉があります。
 高校の国語の教科書に載っていた「蛇消えて 唐招提寺裏 秋暗し」という俳句がそのひとつです。

 秋元不死男は、この句について、
唐招提寺の裏は松の下闇になっていてほの暗く、また蛇が多いので有名である。寺を出て寺の裏道を通ったとき、そこの石橋の上を蛇が横切って消えたのをみた。(中略)わたしはこれをみて勃然と唐招提寺に執着した。「蛇」も「秋暗し」も、「唐招提寺裏」だったので感動したのであった。千古の美しさを保って、ひっそりとしずまりかえっている伽藍や仏像をみたわたしの目に、突として一匹の蛇があらわれ、かき消すように消えた。一瞬わたしはひえびえとした、ほの暗い秋の古寺が蛇によって発見されたという感動であった。
 と、書いています。(俳句入門 角川学芸出版1971年)

 季節は異なるけれど、行ってみようと思い立ったのは、去年の初夏のことでした。


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 唐招提寺の伽藍は静謐で、掃き清められた敷地の中にいくつもの美しい建物があります。南大門を入った時から、私の時間がゆったりとした流れに変わりました。

 ゆっくりと伽藍と仏像を拝見して、再び南大門に向かっていたとき、
「いかがでしたか」と、(おそらく唐招提寺縁の方でしょう)声を掛けられました。
 美しい伽藍と仏像の数々を拝見したことにお礼をいいつつ、伽藍があまりにも広くて驚いたこともお話しました。

 「唐招提寺はもっと広大だったのですが、明治時代の廃仏毀釈で随分土地を失いました」と、その方はおっしゃいました。

 私の記憶の開かずの引き出しに仕舞われていた「廃仏毀釈」という単語が、その時からこれまでの私になかった視点を与えてくれました。
^O^/

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by H_with_the_wind | 2015-10-18 21:08 | 社会科 | Comments(0)

訓練通報

 今年も「大阪880万人訓練」の通報がスマートフォンに入りました。
 過去には、このメールを職場や自宅で受信しましたが、今回は初めて出先で受け取りました。

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 不特定多数の人がいる場所では、一斉に受信音がするわけではなく、微妙に時間差がありました。
 その時、私はデパートにいましたが、しばらくして「大阪880万人訓練」であるとの館内アナウンスがありました。何だかアナウンスを聞いて安心しました。

 ところで、映画館の中でも鳴るのかな!?
 本当に地震や津波の時には鳴ってもらわないと困るけど、訓練だと……。
^O^/

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by H_with_the_wind | 2015-09-04 21:45 | 社会科 | Comments(0)

国立大学文系の改廃

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 6月、文部科学省は大学改革を目的に法学部や経済学部などの人文社会科学系と教員養成の学部・大学院の廃止や他分野への転換を求める通知を出しました。
 そのニュースになんだかイヤーな感じがしたのですが、読売新聞が実施したアンケートの結果、文系学部のある全国の国立大学60校のうち半数近い26校から2016年度以降、文系学部の改廃を計画しているとの回答があったそうです(回答数58)。

 背景には、少子化や国際的な大学間の競争の激化があります。特に文系は理系に比べて産業創出や技術確信の成果が見えにくく、産業界からは、「社会に出て即戦力になる人材を育てていない」との批判があがっているとのことです。

 このアンケートに対する大学側のコメントとして、「人文社会科学系は大学教育に重要だが、教育の質の保証という観点では見直しが必要」(新潟大)という意見、「人文社会系の『知』を排斥すれば、民主主義は成り立たない」(滋賀大)という意見が掲載されています。


 国立大学は、文部科学省からの運営費交付金を配分されて運営しています。その配分は「出来高」に則っています。
 当然、成果が数字として現れにくい文系の学問は不利です。だからこそ国がバックアップするべきものだと思うのですが、間違っているでしょうか。
(-ω-;)ウーン

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by H_with_the_wind | 2015-08-26 18:53 | 社会科 | Comments(0)

続「お先にどうぞ」

 昨日の投稿記事、尻切れトンボと思われたことでしょう。
 一旦は、私の感想を記したのですが、五木寛之さんの言葉があまりにも重くて、何を書いても空回りにしかならないと削除しました。
 中学1年の少年の心に残した傷跡を思うと、どんな言葉も空虚に思えます。

 平和の有り難さを今一度噛み締めています。
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by H_with_the_wind | 2015-08-04 19:12 | 社会科 | Comments(0)

「お先にどうぞ」

 台風12号が過ぎたあと、急に暑くなりました。
 熱帯夜が続いています。

*** *** *** *** *** *** *** ***


 読売新聞では、「戦後70年 あの夏」と題した戦争体験者の証言がシリーズで始まりました。

 1回目は、作家の五木寛之さんでした。平壌で終戦を迎えた五木さん一家は、引き揚げを体験されました。

 「お先にどうぞ」と言っている人は帰ってこられなかった。
 「善き者は逝く」。だから、僕は、帰って来た自分を「悪人」だと思っている。


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by H_with_the_wind | 2015-08-03 19:03 | 社会科 | Comments(0)

戦争は知らない

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   ♪ 野に咲く花の 名前は知らない
     だけども野に咲く 花が好き

 半世紀前に流行った歌、「戦争は知らない」(作詞:寺山修司 作曲:加藤ヒロシ)です。

 優しいメロディーに乗せて、出征したまま還らず、会うことのかなわなかった父を思う娘の決意が綴られます。


 高校時代、
「古い歌やけど…」と、親友に教えてもらったこの歌。
「いい歌やねえ」と、私も始めて聞いてから好きになりました。
 だけど、通り一遍だったような気がします。
 今は、もっともっと胸に染みてきます。


 野に花が咲くー。
 当たり前の光景です。
 でも、それが激しい空襲で焼き尽くされた街に咲く花だったら…。
 あるいは、甚大な災害を受けた被災地に芽吹く若葉だったら…。
 
 破壊された街にも花が咲く日が必ず来るのだと信じています。
 戦争のない日々が永遠のものであるようにと願います。
^O^/


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by H_with_the_wind | 2015-05-08 19:17 | 社会科 | Comments(0)

余計者

 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」を見ていて、「余計者」のことを思い出しました。

 「余計者」は、19世紀のロシア文学に登場する若者の典型像です。

 19世紀のロシア。貴族階級を中心に西欧自由主義思想が広まったものの「デカプリストの乱」が失敗に終わると、皇帝の弾圧が苛烈を極め、青年達が鬱屈しながら生きて行くようになりました。
 貴族階級のインテリゲンツィアは、進歩的な思想と優れた資質を持ちながら社会に生かせず、決闘や恋愛遊戯にうつつを抜かしたり、無気力になって屋敷にこもったりするものが現れました。
 1850年、ツルゲーネフが小説「余計者の日記」にこの種の人物を描いたことから、こうした若者を「余計者」と呼ぶようになりました。
 プーシキンの「エヴゲーニ・オネーギン」やゴンチャロフの描いた「オブローモフ」もこの系譜にあたります。
(Wikipedia 要約)


 いつの世も変わらないものなのでしょうか。
 19世紀のロシアと幕末の日本、そして現代の世界。
遊びに来てくださって、ありがとう





 ※原題の日本語翻訳について、個人的には違和感を持ち続けています。ニュアンスが違うような気がして。もっと他の言い方ってなかったのかなあ。としか言えない私がもどかしい…。
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by H_with_the_wind | 2015-05-06 19:39 | 社会科 | Comments(0)

御堂筋

 「この街は大きくなる」
 そうは言っても、大正時代に24間幅の道路を作るのは、勇気が必要だったことでしょう。

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 渡るのも大変!(笑)
^O^/

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by H_with_the_wind | 2015-04-24 19:06 | 社会科 | Comments(0)