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旅の終わりに

 娘たちとの旅行は、娘たちの成長を知る旅でもありました。

 荷物は、キャスターバッグふたつでした。
 私に内緒で、娘たちが運ぶ、と取り決めをしていたようです。事実、旅行の間中、ふたりでころころと運んでくれました。階段で手を貸そうとしても、頑として受け入れてくれません。

 ほんの少し前まで娘が大きな荷物でした。旅行の支度も全て私の仕事で、着替え、飲み物、ティッシュにタオルと、リュックを背負って娘の手をひいて歩いたものです。

 それが普段のバッグひとつで歩けるようになりました。
 旅支度も号令ひとつで完了です。旅先では、共に歩き自転車に乗り写真も撮ってくれました。

 楽しかったなあ、と何度も何度も繰り返す娘たちに、いつもなら憂鬱な洗濯もはかどりました。
 また行こう、出費は確かにイタイけど、こういう経験はPriceless! お金で買えない大事なことです。
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by h_with_the_wind | 2007-03-31 23:59 | 課外活動 | Comments(0)

龍馬への旅3

 昨夜のうちに雨が降ったようで道路が濡れています。
 でも、坂本龍馬への旅、最終日の高知は快晴との天気予報です。今回の旅行、ずっと天候には恵まれていました。

 高知から野市(のいち)へ行くのに、路面電車とバスを利用しました。路面電車は、市内をゆるゆると走ります。都市部を抜けると、窓外に見える田んぼに水が張られて、すでに田植えが始まっています。そういえば、「高知県の二期作」と、社会で習いました。

 野市には、「龍馬歴史館」があります。
 坂本龍馬の誕生から近江屋で命を落とすまでの33年の生涯のうち、転機となったシーンが蝋人形で再現されています。
 6畳の和室で、剣の師匠千葉重太郎と勝海舟を訪ねた龍馬の姿など、リアルでその場に居合わせているかのようでした。

 高知での坂本龍馬の足跡を追う旅でした。
 歴史は過ぎ去ったもので、どうにも抗うことはできません。高知にも京都にも長崎にも坂本龍馬の足跡は残っています。足跡を辿ることは意味のないことかもしれません。

 ですが、実際に足を運んで土地の空気を体感してみると思いがけない発見があって楽しいものです。
 たとえば今回、坂本龍馬生誕の地と板垣退助生誕の地が、ほんの5・600mしか離れていないことを知りました。
「ご近所さんだったのね」と、娘と顔を見合わせました。
 当然かもしれないけれど、小さいかもしれないけれど、私たちの「発見」は私たちの体験です。
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by h_with_the_wind | 2007-03-30 23:59 | 課外活動 | Comments(0)

龍馬への旅2

 昨日の午後、高知に着きました。
 さっそく、高知市立「龍馬の生まれたまち記念館」で坂本龍馬の脱藩までの足跡をたどり、喫茶店「さいたにや」でコーヒーをいただきました。

 さいたに(才谷)家は、坂本龍馬が生まれた坂本家の本家で、龍馬は、「才谷梅太郎」という変名を用いたことでも知られています。
 喫茶店「さいたにや」は、かつて才谷家があったところだそうです。坂本龍馬好きの店主が20年ほど前に脱サラしてお店を開かれたそうで、坂本龍馬関連の本が揃い、壁にはポスターや写真がたくさん貼られています。
 龍馬ファンが訪れるという店内の雰囲気に、長女の「龍馬モード」が高まりつつあるようでした。


 さて、昨日から、坂本龍馬の足跡を追った旅を続けています。
 今日は朝からホテルの自転車を借りて、高知城を手始めに市内観光をしました。

 午後は、バスに乗って桂浜へ出掛けました。

 バスを降りると波の音が聞こえてきました。どどーん、と響く音が、海の傍に暮らしたことのない私に、旅の高揚感を運んでくれます。

 太陽を反射して海がきらきらと輝いています。打ち寄せる波が深いグリーンの影となり、岩場ではじけて真っ白に変わります。
 好天に恵まれ、気温はぐんぐん上がっているようです。Tシャツ一枚でも充分です。

 1時間の自由時間を作りました。
 次女は、波打ち際を端から端までゆっくり歩きながら、奇麗な石を探しています。私と長女は、桂浜に立つ有名な坂本龍馬の像を写真に撮りました。
 東屋で休む私を残して、長女は、お土産屋さんをのぞきに行きました。春の午後、ゆっくりした時間が流れていきます。

 かつてここの漁師たちは、クジラ漁もしていました。勇猛果敢な海の男たちとクジラの格闘は、今朝、高知城の展示品で見てきたばかりです。

 だけど…、と思います。
 江戸時代、幕府は大型船の建造を禁止していました。(菜の花の沖 司馬遼太郎 文春文庫)。船は、海岸に沿って航行するのみで、ひとたび海岸線から離れると、海流に流されて難破するしかありませんでした。
 海で嵐に出会い、アメリカ船に救助されて数奇な運命をたどったのは、この土地に生まれた中浜万次郎です。ジョン・万次郎と呼ばれ、帰国できた彼は運の強い人で、海流に乗ってしまった人の多くはそのまま海に飲み込まれてしまいました。

 現代、私たちは、この海が太平洋に面していて、海へ漕ぎ出せば広い世界に通じることを知っていますが、江戸時代の一般人の常識として、太平洋の向こうの様子を知る術はなかったのではないでしょうか。坂本龍馬が幼少期に海を見て世界は広い、と感じたのは、出来過ぎのような気がします。
 江戸時代の海の中心は、あくまで瀬戸内海でした。太平洋に面した土佐は、背後に峻険な山を背負って閉鎖した上下関係の厳しい城下町で、孤立していたと考える方が妥当なような気がします。

 それぞれの自由時間を満喫した私たちは、高知県立坂本龍馬記念館へ寄って高知市内へと帰りました。

 夜、坂本龍馬の夢を見そうだ、と夫にメールを送りました。
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by h_with_the_wind | 2007-03-29 23:59 | 課外活動 | Comments(0)

龍馬への旅

 娘ふたりと高知へ行きました。長女は坂本龍馬に夢中です。

 学生時代に同い年の従姉とふたりで四国を、ほぼ一周したことがあります。岡山から宇野まで国鉄の鈍行に乗り、宇高連絡船で四国の高松に渡りました。
 1889年に初めて本州と四国の架橋を提唱されてから、1世紀、長女が産まれる前年1988年に瀬戸大橋が開業しました。

 本州側最後の特急停車駅児島から、四国側最初の駅宇多津までわずか20分です。長女の言葉を借りると
「やるなあ、日本人!」
 瀬戸内海に橋を架けた日本人の技術には驚嘆します。海を渡ったかつての旅行とは視点が違います。

 眼下に塩飽諸島が見えます。(グーグルアースで「瀬戸大橋」を検索してみると、瀬戸内海には実にたくさんの島があることが実感できます)

 28の大小の島々からなる塩飽諸島は、古代から海上交通の要衝で操船に長けた島民が住んでいました。戦国時代には塩飽水軍として知られ、秀吉の時代には大阪から九州への派兵の手段として活躍しました。江戸時代には、幕府から自治領として認められていました。

 ところで、私はまだ司馬遼太郎さんの「菜の花の沖」を読んでいます。淡路島出身の高田屋嘉兵衛の生涯を描いた小説です。
 小説の中に塩飽諸島の船乗りの話が出てきてひどく心惹かれるものがありました。

 多度津の沖には、塩飽諸島が、小餅をまいたように散らばっている。昔から今にいたるまで日本でもっともすぐれた船乗りを出してきたこの諸島がそばにあるというだけでも、多度津は海港としてめぐまれていた。沖船頭や水主にうち20人に1人は塩飽の出身ではあるまいか。
 大坂、兵庫とのあいだは、寄港船をふくめ、荷船、乗合船が、日にかぞえきれないほどに往来する。
「多度津なら、隣り町へゆくより楽じゃ」
と、兵庫あたりではいわれていた。(菜の花の沖2 司馬遼太郎 文春文庫)


 高田屋嘉兵衛は、幕臣近藤重蔵から、北海道の根室から国後島への海路を開くことを命ぜられます。

 ここまでやってくるについて、船は、宜温丸だけでなく、ネモロに繋いであったいま一艘の官船も同行してきている。重蔵は、その船で帰る。
 その官船には、嘉兵衛の郷里、淡路の属島である沼島の水主が数人乗っていた。
 瀬戸内海の塩飽の島々の水主と、淡路のそばの沼島の水主が日本一の船乗りであることは、世に知られていた。幕府はのちのち官船による蝦夷地への航海を確立するために、塩飽や沼島から人を雇い入れていたが、重蔵としては、この際、沼島を嘉兵衛の宜温丸に乗組ませることに決めた。それによって官船が手不足になるため、宜温丸の乗組員の一部と交替させる。
「沼島の者どもは、今後もこのあたりで官船を漕運する。そのため嘉兵衛が見つける潮路をおぼえさせておきたいのだ」
 と、いった。(菜の花の沖4 司馬遼太郎 文春文庫)


 眼下の島々を縫うように大小の船の白い航跡が幾筋も青い海に鮮やかにのびています。これまでなら、奇麗だなあ、のどかだなあ、と眺めているだけだったでしょう。
 司馬遼太郎さんの小説で、穏やかに見える瀬戸内の海が実は、島が潮の流れを堰とめる役割をしたり逆流を呼び込んだりして複雑に入り乱れることを知ったばかりでした。操船の技術や経験による知識に畏敬の念を覚えます。

 瀬戸大橋を渡り切るとそこはもう四国です。
 四国の中央部、ちょうどくびれた部分を汽車は南下していきます。汽車は、四国山地を真っ直ぐに、迷う事なくトンネルの中を突き抜けて高知を目指して走ります。
 土佐藩を脱藩する際に難渋して四国の山中を越えた坂本龍馬が知ったら何というのでしょう。
 長女と同様に
「やるなあ、日本人!」と言ってくれるでしょうか。
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by h_with_the_wind | 2007-03-28 23:59 | 課外活動 | Comments(0)

旅の前夜

 明日から二泊三日の旅に出ます。
 夜になっての旅支度、いつからこんな風になってしまったのでしょう。

 ブログの更新、一日遅れ、二日遅れは毎度のことで、何の影響もないと思いつつ、行って参ります。
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by h_with_the_wind | 2007-03-27 23:03 | 課外活動 | Comments(4)

ボストンバッグ

 一昨年でしたか飛行機で目的地に着いて、ターンテーブルから預けたバッグが流れて来るのを待っている時に奇妙な物を見つけました。
 ボストンバッグが、ゴミ出し用の袋のようなビニールに包まれて流れてきたのです。透明ですから、中のボストンバッグが透けて見えるわけですが、某有名ブランド品です。

 「変わってるなあ」と、暢気に眺めていたのですが。また同じブランドのボストンバッグがビニール袋に包まれているのを見つけて、それが「変わっている」のではなくてサービスらしい、と気が付きました。

 航空会社が気を効かせたのか、乗客が望んだのか…
 有料なのか、無料なのか…
 そのブランドだけが特別なのか…
 そのブランドの財布さえ持たない私には、縁のない話です。

 縁がないからなんとも滑稽に見えたのかもしれません。そんなに大事な品なら、持って歩かなければいいのに、と。

 ふと、思い出しました。
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by h_with_the_wind | 2007-03-26 23:59 | 思い出話 | Comments(0)

地震

 朝からメールチェックをしていました。と、何だかふらふらした感覚に襲われました。貧血かな、と思いながら少し遠くに視線を移してみました。でも、やっぱり奇妙な感覚が消えません。
 「地震?」声に出してみました。
「地震やね」と、夫の声が返ってきました。台所のタオルが揺れていました。
 揺れは小さいままですが、随分、長く続きました。
 何処かで大きな地震が起こったのかもしれません。
 震源地からは遠いだろう、と思いつつも、揺れが大きくなるかもしれない、と身構えていることを自覚しました。12年前の地震がフラッシュバックしました。嫌な感覚です。

 能登半島が震源の大きな地震だった、と知るのにさほど時間はかかりませんでした。起こったことに関する情報の早さには驚くばかりです。が、地震に関して、危険地域から退避できるくらい事前に予知する、ということは様々な面で難しいことなのでしょう。

 末尾ながら被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。
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by h_with_the_wind | 2007-03-25 23:59 | 社会科 | Comments(0)

じゃあ、またね!

 次女のクラスメートとそのお母さんたちでお別れ会をしました。子供の卒業と同時に遠方へ引越しをされる方の送別会を兼ねています。

 午後からキッチン付きの集会室を借りて、皆で料理を作りました。日頃以上のお喋りが出来て盛り上がらないはずがありません。

 子供たちもいつも放課後に遊ぶ時とは雰囲気が違うためか、安心しきった様子です。
 最初は、女の子と男の子と離れた場所で固まってそれぞれにゲームをしていましたが、いつの間にか一緒になって遊んでいます。別れの季節の悲しみなんてまだまだ実感できるはずもないのでしょう。

 小学生は卒業してもご近所同士ですから、これからも交流の機会があるはずです。それでもこれだけのメンバーが揃うことは、もうないかもしれません。
 名残惜しい時間は、いつもあっという間に過ぎてしまいます。
 「じゃあ、またね!」と、いつものように再会を約束して別れました。
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by h_with_the_wind | 2007-03-24 23:59 | 家族 | Comments(0)

大掃除

 子供たちの一年が終わりました。
 ことに小学校生活を終えた次女にとっては、大きな区切りの時です。
 黄色帽子、ランドセル、学校指定の上履きに体操服…もう身につけることはありません。
 後戻り出来ない生活と決別の時です。記念に残しておくものと捨ててしまうものを峻別しましょう。

 「いらない物は思い切って処分しようね〜」の私の声に
「はーい」と、元気に答えてくれた次女ですが…
 普段の掃除と変わらない量のゴミを出しただけでした。
 
 昨日の今日ですから、残しておきたいものと捨ててもいいものの線引きが、親の意図とは別のところにあるようです。まだまだ全てのものたちが自分の身近で、必要に思えるようです。

 自分で判断するには、冷却期間が必要かもしれません。中学校生活が軌道に乗ったころに、もう一度処分の機会を作りましょう。
 それまでは、狭くて不便でも我慢しなさいね。
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by h_with_the_wind | 2007-03-23 22:30 | 家族 | Comments(2)

いい日旅立ち

 春休みに旅行します。
 4月になれば、長女のクラブ活動が始まります。次女にも予定が入っています。夫の多忙は年中行事で、いっそのことと、出張中に娘ふたりと旅行にでかけることにしました。

 今日、汽車の切符を買いに行きました。(ホントは電車だけど、北海道で過ごした学生時代、友達が帰省する時に「汽車に乗る」と言い、繁華街に出掛けることを「町に行く」と言っていた表現が好きで以来、愛用しています)。

 学生時代は、帰省するのも「旅」でした。飛行機で2時間なのに、お金はないけど時間はたっぷりある学生の特権とばかりに一日かけて汽車で帰ったものです。
 長期休暇が近付くと、今度はどこに行こうかと、JTBの時刻表を飽かず眺めていました。

 もう随分、そんな汽車の旅をしていません。子供たちにとっては物心ついてから初めての「汽車の旅」です。
 切符を買った時点で、わくわくしてきました。久しく忘れていた感覚です。
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by h_with_the_wind | 2007-03-22 23:59 | 思い出話 | Comments(0)