今日はどんな風が吹くのだろう。 日々の思いを書き留める雑文帳。

by 風懐

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小耳にはさんだ話

ピーナツバターを口に入れて
すぐにコーヒーを飲んだら
ウイスキーのモルツの味がした

小耳にはさんだ話ですが
ホント??

遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2011-01-27 18:57 | わたし | Comments(0)

知恩院

 今、京都では、『戦国・姫君と武将たち』と題して12の寺院で国宝や重文の非公開文化財を特別公開しています(3月21日まで)。
 たまたま行った知恩院で知ったのですが…^^;

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 特別公開の恩恵で、知恩院の三門に入ることができました(↑この中です)。
 正面の大きな門です。ここへ入れること自体知りませんでした。
 世界最大の木造門は、高さ約24m横幅は約50mとそれだけでも立派な建物です。三門に入ると急な階段が待っていました。一段の奥行きが狭く高さが高い階段が、はるか彼方まで続いています。気を緩めると転びそうで、一所懸命前の人に付いていきました。
 暗くて急な階段を登りきると、眼下に京都の町が広がっていました。

 ゆっくり風景を見る間もなく、案内の人に促されて楼上内部へと向かいました。
 三門の上層内部には、外光から宝物を守るための暗幕がめぐらされています。暗幕をくぐると、ガイドの声が聞こえてきました。暗闇に目が慣れてくると、中央の釈迦如来像の前には20人ほどの観光客が座ってガイドの説明に耳を傾けている姿が見えました。端っこに座って一緒に説明を聞きました。
 正面に目をやると、中央に釈迦如来像が、両脇に十六羅漢像が祀られています。天井に描かれた飛龍は、狩野派の一門によって描かれたものだそうで躍動感にあふれています。
 知恩院は、浄土宗の総本山で宗祖・法然が後半生を過ごし没したゆかりの地に建てられたこと、今年は法然上人800年大遠忌にあたること、1602年、徳川家康の生母は亡くなると、現在の東京都にある伝通院に埋葬されたが、翌年、家康は浄土宗の総本山知恩院を永代菩提所と定めたことなどを伺いました。

 解説を聞き終えて、改めて釈迦如来像と十六羅漢像を拝観しました。
 再び暗幕をくぐって回廊へと出ると、うす曇りにも関わらず眩しさを感じました。
 眼下に広がる京都の町の正面より前方やや右手に広がる緑の一帯は、京都御所です。
 「家康がこの知恩院を永代菩提寺としたのは、ひとつには朝廷の動きを監視するためだった…」と、言うガイドの言葉を思い出して頷きました。高層建築に対する規制の厳しい京都では、今でもひと目で盆地のすべてを視野に収めることができます。

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※   ※   ※   ※   ※



 かつての近江屋は、コンビニになっています。
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 日本史のほとんどの舞台を独占する京都には、あらゆる時代の痕跡が現代生活の隣に残っています。
^O^/

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by h_with_the_wind | 2011-01-22 23:09 | 課外活動 | Comments(2)

壹銭洋食 

 受験生の皆さま、ごめんなさい。
 センター試験の日、京都へ行ってきました。
 センター試験と寒気はご縁が深いようで、不思議と毎年気温の底に陥ります。

 寒いからとぐずぐずしていて到着したのは、お昼でした。

 お昼御飯は、ここで…、

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 これを…。

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いただきました。


感想は…、

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『万一製品にお気づきの点が
ありましたら
誰にも言わないでね!』

こんな風に書かれていたので、内緒です。

^v^

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by h_with_the_wind | 2011-01-17 21:33 | 課外活動 | Comments(6)

太閤の湯殿館にて

 初詣をした湯泉神社は、有馬温泉にあります。
 有馬温泉の泉源を発見したのは、大巳貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神だとされています。
 あらっ、大巳貴命って、大国主命です!ウサギ年の今年、因幡の白兎繋がりで大国主命を祀った神社に初詣できるなんて、何だかいい感触です!

 日本書紀や枕草子にも登場する有馬温泉は、衰退と繁栄の歴史を繰り返しました。
 有馬温泉は『太閤の湯』とも呼ばれます。
 湯泉神社に初詣をした後、有馬温泉の歴史と文化の資料館『太閤の湯殿館』に入りました。

 『太閤の湯殿館』には、豊臣秀吉に関する年表がありました。
 初めて秀吉が湯治に来たのは1583年とされています。温泉の湯がよほど肌に心地よかったのか、最初の湯治から3ヵ月後に賤ケ岳の戦で柴田勝家を破ったことで縁起を担いだのか、以来13年間に9回訪れていることが確認されています。
 今なら大阪市内から車で一時間程ですが、当時の足の便と山道を考慮すると、湯治といっても大層な催事になったのではないかと想像します。

 1985年正月、愛妻の北政所を伴って長逗留した年の夏には長曾我部元親を降伏させて四国を平定、続いて佐々成政を降伏させて北陸を平定しています。同じ年の秋には、石田三成、益田長盛、大谷吉継、千利休らを伴って茶会を開いています。
 九州に出陣し、小田原征伐で北条氏を降伏させた後、1991年8月の湯治を終えた直後、明を倒すべく朝鮮半島に出兵の断を下しています。
 単に戦の傷や疲れを癒すために湯治に出掛けたのでしょうか、山間の地で次の戦略を練るための密会が行われていたのでしょうか。私は両方の役割をしていたのだろうと想像します。

 1596年、慶長伏見の大地震がおこります。調べてみると阪神・淡路大震災よりも大きな規模だったようです。
 この地震で伏見城の天守閣が大破し、大きな被害と犠牲者・被災者を出しました。秀吉が東大寺の大仏よりも大きな大仏を目指して建立したという方広寺大仏殿の鐘楼が崩壊したのもこの時の地震でした。秀吉亡き後、方広寺の鐘楼再建をした豊臣家に対して、鐘楼の文字『国家安康』は家康の諱を分断し、『君臣豊楽』は豊臣家の繁栄を願うものであるとして、家康に大阪の陣につながる口実を与えてしまいました。
 脱線しました。
 慶長伏見の大地震の被害は有馬温泉にも出ました。地震の2年前に65軒の町屋を撤去して秀吉が造らせた「御殿」が大破し、民家が倒壊しました。

 この地震の影響で温泉の温度が急上昇し熱湯になったのだそうです。これを知った秀吉は、根本的な改修工事を命じ、「新御殿」の普請を命じましたが、完成を待たずして1598年に死去しました。

 それから約400年…。
 1995年1月17日未明、私は今までに経験したことのない揺れの中にいました。同じ頃、有馬の極楽寺の庫裏が損壊しました。
 損壊した極楽寺の庫裏の下からは、安土桃山時代の遺跡が発掘され、秀吉が造らせた『湯山御殿』の一部と見られる浴室や庭園の跡が確認されました。
 地震で崩壊した建物が、400年の月日を経た大地震で白日の下に晒されたことに何とも言えない不思議を感じました。
 そして、何の意図もなく書き始めた記事が、阪神・淡路大震災のおきた前日に書き終えたことにこれも不思議な符合を感じています。
w(゚o゚)w

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by h_with_the_wind | 2011-01-16 22:21 | 課外活動 | Comments(0)

初詣

 今年は、湯泉神社へ初詣に行きました。
 いつもと少し違ったお正月は、雪の散らつく寒さの厳しい新年でした。

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 何年ぶりでしょう。心配ごとのない年末年始を迎えることができました。
家族が健康でいられることに幸せを感じています。帰省してくる長女も共に過ごした日々は呆気なく通り過ぎていき、新学期が始まって次女にも日常がかえってきました。
 気持ちはぼんやり、主婦の仕事はエンドレス…。
 ブログではすっかりご無沙汰していましたが、私もそろそろ始動しましょう。
^O^/

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by h_with_the_wind | 2011-01-12 20:25 | 季節の中で | Comments(0)

いい質問ですね

 お正月休みですっかり冷え切ったオフィスで凍えながら(?)働いてきました。仕事始めです。

 帰省していた娘は、こんなお土産を手に機嫌よく九州に帰って行きました。

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 『面白い恋人』ですって!
 んーーー、長女よ、貴女のことですか?


 これを見た中国贔屓の次女が、
「なんで中国が真似したらパクリと言われるのに、これはいいのだ!?」と、怒っていました。
 いい質問だと思います(笑)。
^O^/

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by h_with_the_wind | 2011-01-05 19:23 | 家族 | Comments(6)

おめでとうございます

 家族揃って新年を迎えました。
 幸せをかみしめています。

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by h_with_the_wind | 2011-01-04 17:57 | 家族 | Comments(4)