今日はどんな風が吹くのだろう。 日々の思いを書き留める雑文帳。

by 風懐

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与謝野 晶子

 与謝野晶子を知ったのは、小学校6年生でした。
 学校でふたりひと組になって「偉人」について調べて発表するように、という課題が与えられ、私は一番仲の良かった友だちと取り組みました。
 友だちは、
「絶対に与謝野晶子にしよう」と言いました。
 そもそも「偉人」の定義がわからなかった私には反対の理由もなく、言われるままに与謝野晶子の作品を読み、生涯を調べました。

 最初に日露戦争に出征した末の弟を案じた『君死にたまふことなかれ』を読みました。

あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや……


 小学生にも伝わってくる内容でした。
 軍国主義へと傾いて行く時代に、反戦の意思を世にはっきりと示した女性、女性の地位向上のために尽力した女性。
 小学生レベルではそれ以上踏み込むことはありませんでしたが、強烈な印象が残りました。


 中学に進学して改めて与謝野晶子の作品を読み、その生涯の周辺を以前よりももう少し詳しく辿った私は、晶子のまた違った情熱に触れて戸惑いました。

その子二十歳櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな


 人生で一番輝ける季節、傲慢さえ許されてしまうようなきらびやかな瞬間を堂々と歌い上げる姿勢は他を圧倒する迫力に満ちています。

 その生涯を辿ると、バリイタリティ溢れた生き方が見えてきました。不倫の末、与謝野鉄幹を追いかけて上京、鉄幹の離婚を待って結婚、12人の子をなし、次々と作品を発表、源氏物語を訳し、日本で最初の男女共学校創設のメンバーとして名を連ねます。

 いやはや大変だ!(笑)
 私にはとってもついていけない…。

 第一次世界大戦中は、励戦的な戦争賛美の歌や戦争を美化し鼓舞する歌を作りました。
 『君死にたまふことなかれ』と反し、一貫性がないとの批判もあるようですが、彼女の意識の中心が戦争ではなく家族にあるのだとすれば納得できるように思いました。打てば響く、感性の指す方向へ躊躇せずに走りだす情熱は、時に第三者には矛盾と映ってもきっと本人には気付きもしない瑣末なことなのでしょう。
 とにかく与謝野晶子という人は、私には眩しすぎました。


 今、再び与謝野晶子が私の前に現れました。
 旅行記『女三人のシベリア鉄道』で森まゆみさんが、晶子の足跡を追っています。
 晶子は、夫の鉄幹が創作活動に行き詰ると、手配してパリへ送り出します。
 パリの夫から「君も来い」と手紙が届けば、子供たちを預けてシベリア鉄道に乗り、モスクワ経由で夫の待つパリへと旅立ちます。

 私は与謝野晶子のような生き方はできない…。颯爽とした生き方は、とうてい私のスケールでは計ることができません。
^^;


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2012-06-26 21:40 | 思い出話 | Comments(6)

欧亜国際連絡列車

 JR西日本のホームページで、『欧亜国際連絡列車100周年記念号の旅』という企画を知りました。
 特別列車「サロンカーなにわ」で大阪から米原経由福井県の敦賀まで約2時間の小旅行です。

 素敵な外観の「サロンカーなにわ」は、とても人気があるそうですが、私は欧亜国際連絡列車という単語にひっかかりました。
 欧亜?ヨーロッパとアジアをつなぐ列車…?

 国際連絡列車について調べてみると…、
 飛行機が主流となる以前、四方を海に囲まれた日本から外国へ行くためには、船が欠かせませんでした。国際連絡列車は、都市から外国航路の起点となる港までの列車のことで、外国への船に接続していたそうです。

 そうか!
 青函トンネルができるまで、本州と北海道を結ぶ青函連絡船は重要な役割を果たしていました。長距離列車で青森駅に到着すると、すぐそばの青函連絡船の発着場では出航時間の迫った船が乗客を待ち受けていました。連絡船で4時間かけて津軽海峡を渡り終えた函館でも同様に道内に向けた列車との連携ができていました。
 その外国航路版ということですね。


 日本の開国から第二次世界大戦後にかけて、横浜、神戸、長崎など不平等条約で開港した港は外国航路の運航を担っていました。
 長距離航路では横浜とサンフランシスコ、短距離航路では長崎と上海や稚内と大泊を結ぶ定期運行航路などがあったそうです。
 敦賀とロシアのウラジオストクを結ぶウラジオ航路が「欧亜」と呼ばれたのは、ロシアの極東・ウラジオストクがシベリア鉄道の起点だったからです。ユーラシア大陸の東端ウラジオストクからモスクワまで伸びるシベリア鉄道を利用することで、モスクワからさらにヨーロッパの各都市への移動が容易になりました。


 1912年6月、東京の新橋から金ヶ崎(敦賀港)駅間に「欧亜国際連絡列車」の運行が開始され、ウラジオストクまでの国際航路とシベリア鉄道を介し、それまで海路で40日かかった東京からパリ間が17日で結ばれることになりました。
(JR西日本HPより)
 


そうか!
 第二次世界大戦後、ソ連の抑留から引き上げ船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親の姿を歌った「岸壁の母」の舞台が舞鶴だと聞いても私にはイメージできませんでした。
 かつて舞鶴とウラジオストクの間に国際航路があったという大前提を知らなかったためですね。
 与謝野晶子は、東京から米原経由で敦賀まで出て敦賀からウラジオストクまで船に乗り、シベリア鉄道モスクワ経由で夫の待つパリへと旅をしていることにも納得しました。


 「欧亜国際連絡列車」の運行開始100年を記念して運行されるこの列車は、敦賀港からロシアのウラジオストクに向けて運行されるクルーズ船にも接続しているのだそうです。
 たった一度の運行…。乗ってみたかったけれど、私が知った時点でもう満席だそうです。
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2012-06-20 06:19 | 社会科 | Comments(2)

あじあ号 

 九時大連(だいれん)發の「あじあ」に、ぼくは乗つた。見送りに來た母が、大勢の人にまじつて見える。
「おかあさん、行つてまゐります。」
ぼくが手をあげると、母もあげた。窓を開くことができないので、ぼくのこのことばも通じないらしい。母も何かいつてゐるやうだが、こちらにはわからない。「あじあ」は流れるやうに動きだした。ぼくは、この春休みにハルピンのをぢのところへ行くのである。一度乘つてみたいと思つてゐたこの汽車に乘れて、ほんとうにうれしい。
 (「あじあ」に乘りて 著作者:文部省 底本『初等科国語六』(1943年) 提供Wikisourceより)

 (全文へのリンクができないのが残念ですが、下記を検索してみてください)
      Wikisource 「あじあ」に乗りて


 私のブログタイトルのとおり、ぽかりと心に思い浮かんだことから連想を重ねてたどりついたのが、「あじあ号」でした。

 母から小学校の教科書に載っていたという「あじあ号」の話を聞いたのはいつだったでしょう。その時の情景を思い出すことはできないけれど、乗ってみたかったという母の言葉は私の心の片隅に残っていたようです。連想の連鎖の先で、普段すっかり忘れていたことが突然、浮かびあがってきました。

 九州の山間部で生まれ育った母にとって教科書で垣間見た未知の世界は、余程強く心に残っていたのでしょう。
 母が成長して都会に住み、看護婦として働き、娘を産んでもなお時折思い出していた文章を読んでみたい。私の連想は、素朴な衝動へと移っていきました。

 私も母から聞かされたままに受け入れていたけれど、そもそも「あじあ号」って何でしょう。
 手始めに「あじあ号」で検索してみました。

 日本の資本・技術で経営されていた南満州鉄道が、1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで大連駅からハルビン駅まで運行していた特急列車。大連港と日本の間には定期連絡船があった。(Wikipediaより)

 「あじあ号」の概念を掴んだところで、更に母の小学生時代の教科書を探してみました。
 いくつかのキーワードを重ねて、全文に行きあたりました。
 春休みに、日本の技術を集約した汽車に乗って、ひとりで叔父さんの所へ行った少年の体験談です。
 私が映像のない時代に生きる小学生なら、かつての母と同じようにまだ見ぬ世界に想像の翼を広げてドキドキしたことでしょう。


 雲が切れて、日光がさして來た。雲はしきりに流れて、早春の畠を、野を、そのかげがはつて行く。「あじあ」は、雲のかげを追ひ越したり追ひ越されたりして、滿洲の大平原をまつしぐらに突進す。

 大きな赤い夕日が沈むところだ。夕日とぼくとの間には、さへぎるもの一つない。
     (「あじあ」に乘りて 著作者:文部省 底本『初等科国語六』(1943年) 提供Wikisourceより)



 産まれた土地から外に出ることさえ簡単ではなかった幼少時の母には、大平原も大きな赤い夕日も想像の域を出ることはなかったことでしょう。
 後年、シベリア鉄道に乗るという行為は、母の幼い日からの夢が達成できた瞬間だったのだと理解できました。
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2012-06-12 07:08 | 思い出話 | Comments(4)

女子会

 週末、職場の女子会に参加してきました。

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^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2012-06-09 07:58 | わたし | Comments(2)

太陽の黒子

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^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2012-06-06 20:00 | 理科 | Comments(0)