今日はどんな風が吹くのだろう。 日々の思いを書き留める雑文帳。

by 風懐

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夏越の祓 

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 京都、八坂神社にて

 今年前半に犯した罪にごめんなさいをして、穢れを祓っていただきました。

^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう


さっ、水無月食べなきゃ!
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by h_with_the_wind | 2013-06-30 21:38 | 季節の中で | Comments(4)

小説の主人公

 生きた人間の存在が、ケシ粒のように空しく感じられる空間。逆に、この空間としのぎを削って生きる小説の主人公たちの大きさ。実在の人間は名もなく死に、架空の人々の記憶は、人類の知のタンクに収められて綿々と生きつづけていくという、このふしぎな矛盾――。
(偏愛記 ―ドストエフスキーをめぐる旅― 亀山郁夫著 新潮文庫)



 ホントに!


 「偏愛記 ―ドストエフスキーをめぐる旅―」は、ドストエフスキーにまつわるエッセイ集です。抜き書き箇所は、ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の舞台を訪ねてノヴゴロドまで旅した際の締めくくりの言葉です。
 的を射た文章に出会いににやりと笑い、次のエッセイへと進みました。
 簡単な文章だけど、読了後も心に残っていて付箋を貼ることを忘れた自分を呪いつつ、あちこちページを繰ってようやく探し当てました。

 亀山郁夫さんによる「カラマーゾフの兄弟」の新訳が出版されたのは、2006年でした。今確認して、えっ、もうそんな前になるの!と驚いたところです。
 「カラ兄」なんて言葉までできましたっけ。以来、日本で一番有名な兄弟かもしれません。


 「罪と罰」のラスコールニコフ、「源氏物語」の光源氏、「海辺のカフカ」の田村カフカ、あるいは「1Q84」の青豆…、
 もしかしたら友人よりも小説の主人公についての方が詳しいかもしれません。ラスコールニコフの起こした事件については、現実の事件よりもよく知っているかもしれません。
 なるほど…、不思議な感覚に陥ってしまいます。
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2013-06-29 22:28 | 本の話 | Comments(0)

カウント

 セサミストリートにカウント伯爵が現れると不気味な雰囲気が漂います。
 ドラキュラを連想させる風貌のカウント伯爵は、数を数えるのが大好きです。目の前にあるものを何でも数え始める姿は愛嬌があります。


 日本語で1から10まで昇順で数える時、「4」は「し」で「7」は「しち」ですが、10から1に降順で数えると「7」は「なな」で「4」は「よん」になるよ、と娘に言われて「ほおー」と感心しました。

 いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう
 じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ご、よん、さん、に、いち

 ほんまや!
 なんで?
 大阪だけ?


 数字の「4」と「7」を混同しないようにとの配慮でしょうか。「7」の読み方が、主にニュースでは「なな」に統一されているようです。より正確を期するためには必要なのでしょうが「七回忌」を「なな・かいき」と言われると 、私には違和感があります。
 古くから伝わるもの、仏教に由来するものは、やっぱり「しち」と発音して欲しいなあとでなあ、と思います。
 「ななふくじん」とは言いませんよね。


 日本語の数字の読み方はいろいろ複雑です。
 カウント伯爵、日本語で数えられるかな?
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2013-06-28 22:30 | 国語 | Comments(0)

アピール

 「あれっ!」
 お母さんに手を引かれた少女が突然立ち止まりました。つられて指差す先を目で追うとつばめの巣がありました。


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 巣の中でくしゃっとした様子に思わず少女と目を合わせて笑ってしまいました。
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう


お母さんが近づいてくると…
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by h_with_the_wind | 2013-06-25 20:25 | 季節の中で | Comments(6)

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 恵みの雨、とはよくいったものです。
 木々の緑がいっそう映えます。
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2013-06-19 20:38 | 季節の中で | Comments(8)

群来(くき)

 高村薫さんの小説「晴子情歌」(新潮文庫)を読んでいます。
 主人公の晴子は、北海道の初山別でニシン漁をする男たちの飯炊きとして働いていましたが、漁の季節が終わって仕事がなくなると、江差へ子守として通い始めました。
 「江差の五月は江戸にもない」という言葉が今も伝わっていますが、作者は、そんな繁栄した時代の様子を生き生きと文章で表現します。
 「晴子情歌」を読みながら、旅行の記憶が刺激されてひとつ前の記事を書きました。かつての廻船問屋、江差よこやまユースホステルの思い出です。


 小説「晴子情歌」です。
 ニシンが産卵のために大群になって沿岸に押し寄せることを、群来(くき)と呼ぶのだそうです。群来がやってくると、産卵と放精によって海はミルク色に変わるといいます。
 作者の描写は、ただ美しいだけでなく生命の躍動が伝わってきます。
 つられて想像してみました。
――海の中から茫々と湧き出してくる青白い光の輪――。
 きっと私の想像よりも遥かに雄大で、遥かに幻想的な風景なのでしょう。
 想像が追いついていないだろうということがわかるだけです。


 小説を離れます。
 江戸時代、ニシン漁は松前藩によって制限されていましたが、明治維新後、制限がなくなって収穫量は飛躍的に伸びました。
 鰊御殿と呼ばれる立派な家が建ち番屋が点在し、ニシン漁の季節には北海道の日本海沿岸は大いに賑わったといいます。ニシン漁に関連して様々な職種の職業が成り立ち、新たに人をよびました。
 沿岸ではその場でニシンを加工するために火が焚かれます。燃料にする薪をとるために付近の山は丸裸になったのだそうです。

 永遠に続くかと思われた繁栄の時は、突然、終末をむかえました。
 春を告げるニシン漁は、昭和32年にぱたりと途絶えたといいます。
 海水温の上昇、乱獲、磯焼けが、群来が見られなくなった原因とされています。「磯焼け」は、森林の伐採によって海への養分が断たれることで、この磯焼けが原因で鰊が産卵する海藻と餌となるプランクトンの減少を引き起こします。結果、鰊の住処が奪われてしまったという連鎖です。

 「文明崩壊―滅亡と存続の命運をわけるもの」(ジャレド・ダイアモンド著 楡井浩一訳 草思社文庫)で、イースター島やオーストラリアでは過去、人類が自然に対して過剰に手を加えたことで生態を大きく変化させてしまった例を読みました。
 北海道のニシン漁も同様に、食物連鎖の不均衡を起こしたのでしょう。

 そのままニシン漁は滅亡するのかと悲観的に思いましたが、数年前からニシンが日本海に戻ってきているそうです。地元では、再び豊漁となり、ニシン漁の復活への期待が高まっているといいます。
 私もこの目でミルク色に染まる海を見る日が来ることを願っています。
^O^


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2013-06-12 20:54 | 本の話 | Comments(2)

横山さん家(ち) 

 学生時代、夏休みの北海道旅行を計画していて松前と江差のどちらへ行こうかと迷いました。
 国鉄(!)の路線図によると、函館を出発点として松前も江差も同じ線路を進行します。やがて木古内で線路は二手に分かれ、松前線は海岸線に沿って南下し、江差線は内陸へと西に方向転換します。
 両方に行くためには、例えば松前へ行った後、一旦木古内まで戻ってから江差に行かなければなりません。ダイヤの都合で、かなりのハードスケジュールになることがわかりました。

 私たちは、江差を選びました。
 函館駅を出たローカル線は木古内を過ぎると、山の中を分け入って真っ直ぐに日本海に向かって進んでいきます。函館で一緒に乗った人たちは列車が進むにつれてひとりふたりと降りて行くばかりでした。
 今も、開け放たれた窓の外を移りゆく木々の濃い緑と草の香りのする風を妙にリアルに覚えています。

 そうして辿り着いた終点の駅が江差でした。
 江戸時代から明治にかけては北前船の交易と鰊で栄えた豪商が軒を連ねていたという町に喧騒はなく、そこは夏の光が溢れる穏やかな町でした。

 私たちは、予約していたユースホステル江差よこやまへと向かいました。
 回船問屋だったというこのユースホステルは、往時の姿のまま私たちを迎えてくれました。個人のお宅ですが、北海道の文化財指定を受けているという立派な家屋をユースホステルとして利用できることは驚きでした。

 その日の宿泊者は私と友達の他は男子学生が3人の合計5人だけという北海道のユースホステルにしては、小さな規模でした。
 夕食の後片付けを終えてから、家の中を案内していただきました。
 昔の商売や生活の道具が置かれた様子はさながら博物館か民俗資料館のようです。かと思うと、和室には立派な屏風が置かれていて華やかな時代が偲ばれます。
 京都の町屋によく似た造りの間口に対して奥に長く続く家屋の最奥は、かつては海に面していて、北前船から小舟に移し替えた荷物をそのまま家の中に運べるようになっていたといます。これも京都の日本海側にある舟屋を連想させます。

 都会の核家族で育った者には想像できない歴史と生活の存在に圧倒される一方、遠い親戚の家に遊びに来たような懐かしさも感じました。友達とはこのユースホステルのことを、親しみを込めて「横山さん家(ち)」と呼ぶようになりました。

  学生時代にはたくさんの電車に乗って、いくつものユースホステルを利用しました。その中でいつも最初に思い出すのが、この江差よこやまユースホステルです。
 あの時、江差ではなく松前を選んでいたら、私の印象はどうだったかな、と思ったりもします。
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう


その後の横山さん家
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by h_with_the_wind | 2013-06-09 10:34 | 思い出話 | Comments(0)

かもめのジョナサン

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 一斉に同じ方を向いている花たち。
 私は、違う方を向いている花はないかと探してしまいます。


 かもめのジョナサン。
 かっこいいな、と思いました。ジョナサンのように生きられたら素敵だな、と憧れました。

 他人と同じ生き方をしなくてもいいんだよという親の教えは、かもめのジョナサンに憧れた少女には有難く、でも、世の中の海を渡っていくには少々窮屈でもあり…。

 あれからいくつの春と秋を過ごしたでしょう。
 一斉に咲く花を見つめて、私は私でいられたかと、自分に問うてみました。
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2013-06-04 22:00 | わたし | Comments(4)

梅雨の晴れ間に…

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 黄色い花を見ると元気が出ます。
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2013-06-03 20:58 | 季節の中で | Comments(2)

黒子の美学

 目の前で繰り広げられる早替わりの妙技を見て、その裏側を知りたい、と思わない人はいないことでしょう。
 歌舞伎「伊達の十役」を観た私も舞台の裏側で繰り広げられる手順を知りたいと思いました。一瞬。
 そうほんの一瞬だけ。
 次の瞬間には、これは知る必要のないことなのだ、と否定しました。

 歌舞伎役者の早替わりはひとりで行えるものではなく、舞台の裏では次の衣装・鬘・小物を用意している人がいます。
 役者が舞台から引っ込んだら、手際よく着替えを手伝い、また舞台に送りだす黒子と呼ばれる人たちです。
 きっと彼らは、観客にその存在を知られることを「良し」とはされないことでしょう。観客に気取られることなく主役を支える裏方に徹するところに「美学」があるのではないかな…。
 舞台裏を知りたい、という素朴な思いを一瞬にして否定したのは、黒子に徹する人たちのことが頭を過ったからです。
^O^/


遊びに来てくださって、ありがとう

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by h_with_the_wind | 2013-06-01 21:57 | 芸術 | Comments(2)